風の谷のナウシカの都市伝説(王蟲や腐海の真実)や、映画版と漫画版(原作)のあらすじの違い(ラストやその後:ネタバレ注意)

風の谷のナウシカと同じスタジオジブリ作品の聖地巡礼-11

どーもー、先日「トトロの森」へ聖地巡礼して、クマやヘビが出てこないかビクビクしていた、ジブリオタクの「ゆとり」でーす。

→ となりのトトロの舞台:「トトロの森(狭山丘陵)」や「クロスケの家(埼玉県所沢)」に行ってきた~その他モデルとなった場所も

今回は、

今(2016年)から30年以上も前の作品で、まだ「スタジオジブリ」ができる前の、1984年3月11日に、全国映画放映された「風の谷のナウシカ」について、書いていこうと思います。

【CM 予告編】

【風の谷のナウシカのストーリー概要】

舞台は、地球上から科学文明が崩壊した「火の七日間(最終戦争)」から1000年が経過したときの世界。

その世界は、人類が生きていく事のできない、有毒の瘴気(しょうき)を発する生態系:「巨大菌類の森・腐海(ふかい)」によって、地上のほとんどが浸食されている終末世界(ディストピア)であった。

人々は腐海に浸食されていない、わずかな土地に点在し、それぞれが国や村を築き上げ、生き延びていた。

そして、主人公の「ナウシカ」は、「風の谷」と呼ばれる小さな村に住んでいる少女である。

本作品では、この少女が、腐海の森やそこに生息する生き物たち(蟲:むし)と、人々との間で起きていく様々な紛争や事件に巻き込まれていく様子や、人類と自然が共に生きていくために行動していく姿が描かれている。

この「風の谷のナウシカ」は、宮崎駿が原作・脚本・監督を務め、高畑勲(プロデューサー)や鈴木敏夫(企画)・久石譲(音楽プロデューサー)といった、のちにスタジオジブリ作品を支えていくスタッフが顔を揃えている。

※「風の谷のナウシカ」は、まだスタジオジブリができる前の作品で、次作の「天空の城ラピュタ」からが、ジブリ作品となる。

宮崎駿作品の特徴でもある、「自然と人類(科学文明)の対立」・「文明や自然の破壊と再生」・「戦争や民族紛争批判」・・・といったテーマが盛り込まれており、宮崎作品の原点と呼ばれている作品である。

公開年の1984年には、アニメグランプリと日本アニメ大賞の作品部門をダブル受賞。

さらに、海外でも複数の映画賞を受賞し、アニメーション作家としての ”宮崎駿” の知名度を引き上げるキッカケとなった作品にもなった。

だが、この作品。

映画版を観たという人は、非常に多いと思うが、原作(漫画版)を観た事がある。という人は非常に少ないように思う。

しかし、原作には、映画版で描かれていない様々なストーリーが描かれていて、ハッキリ言って別物と言っていいだろう。

映画版には、原作の2~3割ほどのストーリーしか描かれておらず、物語の深さや壮大さが全く違っている。

宮崎駿自身も、映画版については、原作漫画の途中までしか描かれていない不完全な作品として、自身では全く評価していない。。

ということで、今回の記事では、

「風の谷のナウシカ」のあらすじと共に、映画版と漫画版(原作)との違いについて。。また、ネット上で話題となっている、「ナウシカの都市伝説」について、それぞれまとめてみました。

以下、目次。

  1. 「風の谷のナウシカ」のあらすじと、ラストシーンやその後について・・
  2. 「漫画版(原作)」と「ジブリ映画版」の違いまとめ
  3. ナウシカの都市伝説:6選 ~王蟲や腐海・巨神兵の真実。そして登場人物全てが人造人間だった?
  4. 「風の谷のナウシカ」で僕が最も好きなキャラクターと記憶に残ったシーン。。そして、他の宮崎駿・ジブリ作品について

【ネタバレ注意】:風の谷のナウシカ(ジブリ映画版)のあらすじと、ラストシーンやその後について・・

まずは、映画版の「風の谷のナウシカ」について、簡単なあらすじやラストシーン(その後)について、まとめたいと思います。

舞台は、上述の通り、「火の七日間(最終戦争)」によって、地球上から科学文明が崩壊し、ほとんどの人類が滅亡してから、1000年が経過したときの世界です。

その世界は、人類が生きていく事のできない、有毒の瘴気を発する生態系:「巨大菌類の森・腐海」によって、地上のほとんどが浸食されており、人々は腐海に浸食されていない、わずかな土地に点在し、それぞれが国や村を築き上げ、生き延びていた。

そして、主人公の「ナウシカ」は、辺境にある「風の谷」と呼ばれる小さな村に住んでいる少女である。

村人達は、平和な農耕生活を送っていたのだが、ある夜、大国「トルメキア王国」の輸送機が風の谷に墜落する。

その輸送機には、1000年前の最終戦争にて世界を焼き尽くしたという、巨大人型兵器の「巨神兵」が積まれていた。

その後すぐに、墜落した輸送機を探しに「トルメキア軍」がやってきて、司令官であった「トルメキア王国の皇女:クシャナ」によって、風の谷は占領された。

クシャナはこの時、眠っていた巨神兵を本国まで運び、復活させて「腐海」を焼き払おうと目論んでいた。
だが、巨神兵を本国まで運ぶのが困難だと分かり、風の谷で復活させることに決める。

クシャナは一旦「トルメキア王国」に帰国することにして、ナウシカを捕虜としたうえで、風の谷を発つ。

だが、その帰路の途中、突然現れた戦闘機の攻撃によって、クシャナ隊は壊滅。

なんとかその戦闘機を撃墜するものの、ナウシカが乗る輸送機も被弾して落ちていく。

その後、腐海の中に不時着してしまうのだが、そこで同じく不時着した敵の戦闘機に乗っていた少年:アスベルに出くわして、腐海の蟲に襲われていたアスベルを助けることになる。

ナウシカは、腐海に生息している蟲と、心を通わせ会話することができる不思議な力を持った少女だった。

そして、アスベルは、トルメキア軍に滅ぼされた「ペジテ市」の生き残りであることが発覚。

実は、トルメキア軍が運んできた「巨神兵」は、ペジテ市が発掘して見つけたモノであり、それを聞きつけた「トルメキア軍のクシャナ皇女」が、奪いに来たという。

そして、ナウシカは・・・ペジテ市の生き残りの民達が、再び「巨神兵」を奪い返そうと、腐海の森に生息している主:「王蟲(オーム)」の大群を、風の谷におびき寄せようとしている事実を聞く。

そのことを知ったナウシカは、風の谷を守るために「王蟲(オーム)」の大群を止めようと、必死に抵抗するが、「王蟲(オーム)」の大群は止まらない。。

気がつくと、迫り来る巨大な「王蟲」の大群で、地平線は埋めつくされていた。

そこで、トルメキア王国のクシャナは、まだ未完成であった「巨神兵」を目覚めさせ、迫りくる王蟲達を一掃するよう命令するが、未完成だったために、すぐに胴体が崩れ落ちてしまい、再起不能になった。

そして、風の谷の人達や、クシャナ達が絶望に瀕(ひん)していた最後の瞬間・・・ナウシカが、突進してくる王蟲達の目の前に立ちはだかる。

だが、次の瞬間には、ナウシカは王蟲に跳ね飛ばされてしまい全てが終わったかに思えたが・・・

程なくして、王蟲達の怒りが収まり、群れはナウシカを囲むようにして動きを止める。そして、死んだように倒れているナウシカを、王蟲達の触手が包み込むと、次の瞬間、奇跡が起こってナウシカが蘇った。

その後、王蟲の群れは腐海の森へ帰っていき、クシャナ達トルメキア王国の人達も、本国へ帰っていった。

最後のエンディングでは、平和な生活を送っている風の谷の人達の姿が描かれていた。

以上が、ザッとまとめた、映画版:「風の谷のナウシカ」のあらすじになります。

ラストシーンでは、自然(腐海と、そこの生物)と人類を結ぶ伝説の救世主として蘇ったナウシカの姿は、とても神々しく感動的であり、

最後(エンディング)のシーンでは、腐海の毒に侵されていたはずの「風の谷」にて、ナウシカや谷の人々が幸せそうに暮らしています。

これは、本来であれば共生できないはずの、腐海と人間達の常識を覆(くつがえ)す、人類の希望の第一歩と解釈できるシーンでしょう。

だが、僕はこの年(26歳)になって、久方ぶりに改めて「風の谷のナウシカ(映画版)」を見てみて、

自然回帰や自然共生といったテーマは伝わってきたが、各登場人物同士の深い人間ドラマや、鳥肌が立つほどの衝撃性や記憶に鮮明に残るようなストーリー性では無いな。。と感じました。

(舞台設定や時代背景、新種の生物については新鮮だったが。)

だが・・・

僕は、後にこの「風の谷のナウシカ」という作品に対して、根底から覆(くつがえ)されるような衝撃を受けることになります。

そう。それが、原作・漫画版。

とてもじゃないけど、映画版と原作版とでは、そのスケールさも、深さも、ストーリー性も、同一なモノとはいいがたい。全くの別物と言っていいでしょう。

ナウシカの原作版を読むことで、「宮崎駿」の天才さ・知見の深さと広さをマジマジと感じることができます。

宮崎駿は、幼少時代に戦争を経験してきた年代の方です。そのような混沌とした時代に生きた経験。そして、昭和初期~平成と急速な時代の移り変わりを経験してきたからこそ描くことができた、壮大なストーリーだなと感じました。

ナウシカの原作漫画版を読まずして、宮﨑駿は語れない。。そう言い切ってイイ作品だと思います。

風の谷のナウシカの「漫画版(原作)」は、映画版とは全くの別物! ~2作品の違いや、原作ストーリーの最後について~

風の谷のナウシカの原作漫画版は、「アニメージュ」という雑誌で、1982年2月号にて連載をスタート。

その後、12年後の1994年3月号まで連載が続いた超大作になります。

単行本にすると、計7巻になり、1994年に「第23回日本漫画家協会賞大賞」を受賞。単行本の発行部数は累計1,200万部を達成しました。

映画版では、この7巻のうち、2巻の前半部分まででストーリーが完結するよう構成されています。

なので、原作におけるナウシカの世界の広さやストーリーの壮大さは当然縮小されていて、

宮﨑駿氏自身も、原作の途中までしか描かれていない不完全な作品とし、あまり評価していないと、インタビューで答えています。

そもそも、当初は、アニメーションにならない世界を描くつもりで本作品を執筆していたため、映画化が決まったときは非常に困惑したという。

ということで、映画版と原作漫画版の主な違いについて、以下にまとめてみました。

  1. 【世界(人間界)の勢力図】

    映画版では、トルメキア王国が一大勢力となって、周辺諸国(風の谷やペジテ市)を侵略する構図となっているが、

    原作版では、土鬼(ドルク)連合国という、もう一つの大国があって、トルメキアとドルクの二大勢力となっている。

    ストーリーでは、主にこの二大勢力の戦争が描かれていて、風の谷やペジテ市などの小国は、その戦争に巻き込まれる構図となっている。

  2. 【「風の谷」と、「ペジテ市」の扱い】

    「風の谷」・・・映画版ではトルメキア軍によって占領され、巨神兵の培養地(ばいようち)となり、ペジテ市の残党によって王蟲(オーム)の暴走の標的となった重要な場所だが、

    原作版では、最初にトルメキア軍が、風の谷にやってくるぐらいで、それ以外はほとんど出てこない。。

    また、「ペジテ市」だが、映画版ではトルメキア軍に壊滅させられ、生き残った数少ない残党達によって、トルメキア軍が駐留していた「風の谷」に対して、王蟲を暴走させるよう、けしかけるが、

    原作では、そのような描写は一切なく、生き残りも「アスベル」のみである。

  3. 【トルメキア王国の血みどろの王族争い】

    映画版では、トルメキアの皇女:クシャナしか登場せず、王族同士の権力争いも描かれていないが、

    原作では、国王の「ヴ王」や、皇子の3人も登場する。(ヴ王には、4人の子供がいて、クシャナは、末娘(すえむすめ)である)

    本編では、王族内の対立が描かれており、特に、3皇子とクシャナとの対立は激しく、クシャナ軍に対して、わざと不利な戦線へ派遣させたり、無謀な作戦を実行させたりし、さらには、敵(ドルク帝国)に対して、情報を漏洩するといった、王族内の血みどろの争いや陰謀が描かれている。

    また、クシャナは、先王の血を引く唯一の存在であり、(だから、一族から妬み・忌み嫌われている存在)
    彼女の母上は、父上である「ヴ王」に賜(たま)われた酒(毒)によって、精神が狂ってしまった状態になってしまう(クシャナの身代わりになって。。)

    それを知ったクシャナは、自身を「兄弟殺し・親殺し」も逃れられぬ宿命とし、「あいつたちを殺せるなら、この生命など惜しくも無い。」と発している。

    このような、血みどろで陰謀溢れる、トルメキアの「王位継承争い」も見所の一つです。

  4. 【土鬼(ドルク)帝国】

    原作では、トルメキア王国と並ぶ、世界の二大勢力の一つ・・・土鬼(ドルク)帝国

    映画版では出てこない、この土鬼帝国だが、原作では非常に重要な位置づけとなっている。

    土鬼帝国のトップは、神聖皇帝(しんせいこうてい)と呼ばれ、皇弟:ミラルパと皇兄:ナムリスが、その位置にいる。

    ストーリーの前半部分では、皇弟:ミラルパが、トップとしての実権を握り、自身の「宗教」によって帝国を支配していた。

    そのため、本編では、宗教問題や宗教戦争(内戦)が勃発する描写もあり、

    植民地となった国の人々は、自分たちの言葉を喋ってはダメで、全て土鬼帝国の基準(宗教)に合わせられる。

    異教徒のものは、その言葉を喋るだけでも罪となり、場合によっては「火あぶりの刑」とされる。当然、逆らう奴は、有無をいわさず殺され、壁にはりつけにされてしまう。

    このように、土鬼帝国は、皇弟:ミラルパによる絶対の宗教によって支配され、人々は恐れおののき崇拝することになる。

    だが、植民地となってる国が、土鬼帝国に対して反旗を翻(ひるがえ)す事も度々あり、宗教戦争(内戦)が絶えない問題も抱えていた。

    また、

    ストーリーの後半部分になると、無神(むしん)論者の皇兄:ナムリスが弟を謀殺して実権を奪回。

    これまでの宗教政治を全否定し、皇弟:ミラルパのもとで幹部の位置にいた人々を皆殺しの刑に。

    無神論という、これまでとは180度違った思想・体制によって、土鬼帝国を根底から覆し支配していく様も描かれている。

    このように、土鬼帝国を描くシーンでは、宗教問題や宗教戦争、また有神論と無神論の比較・・・といった観点で、非常に見応えがあるシーンとなっています。

    また、この土鬼帝国では、戦争用の人工破壊兵器として、不死身の人造人間であったり、猛毒の瘴気を発する物質や腐海の主である王蟲(オーム)ですら人工的に作り上げる技術・・・1000年前の旧文明の技術が残っているとして、

    ストーリーの終局では、その秘密が眠っているとされている、土鬼の首都にある「墓所」

    この場所に、1000年前の旧文明と現代とを結ぶ、”世界の秘密” が眠っているとして物語の終局が描かれています。

以上が、映画版と原作漫画版の主な違いになります。

次に、

原作版のラストは、どのように終わったのか・・

漫画版の最終巻では、ナウシカが、ドルクの聖都シュワにある「旧世界の遺跡:墓所」の深部に突入し、そこに存在した「墓所の主」から、”自分たちの生きる世界の秘密” について知らされます。

それは、腐海とその生態系(蟲達など)が、地球環境を再生するために作られた、人工的な環境浄化システムであること。

さらに、現在地球上に暮らしている、わずかな人類たちも、実は腐海の影響によって広範に撒き散らされた「毒」への耐性を与えられた人造人間であり、世界が完全に浄化されれば腐海の生物と共に絶滅する運命にある、ということ。

これら、”世界の真実” を知らされたナウシカは、ソレ(最初から決められた運命)を否定します。

【墓所の主に対しての、ナウシカの発言(ラストシーン)】

「私達の身体が人工で作られていたとしても私達の生命は私達のもの。生命は生命のチカラで生きている。」

「生きることは変わることだ。これからも王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。腐海も共に生きていくだろう」

「だがお前は変われない。組み込まれた予定があるだけだ。それは、死を否定しているから・・・」

「浄化の神としてつくられたために、”生きる” とは何か知ることもなく、最も醜い者にお前はなってしまった。」

そして、この後、旧人類の遺産(墓所)もろとも破壊してしまいます。



このラストシーンですが、

前後の文脈から、ナウシカは腐海の存在するこの世界こそ、いまある「自然」の姿だと受け止め、やがてその「自然」が滅び、新たな「自然」が生まれるなら、そこに人類だけが生き残っていることは、不自然だと・・・

腐海と人類が、この先も生き残れるかは「この星」が決めることだ・・・人間が決める事じゃない。。そう言い切ったように思います。

人類がおこなってきた傲慢さや驕り(人類が生き延び、自分たちの生活の発展のために、自然を犠牲にすること)

そのような過ちも、それらすべてを含む世界をありのままに受容し、その穢れを背負ってでも生きていかなければいけないということが、メッセージとして伝わってきます。

また、本編では、この後ラストショットとして、

ナウシカは風の谷に帰り、その後、「森の人」と呼ばれる腐海の奥地に住む住人:セルム達に会いに行ったこと。

そして、トルメキア王国では、クシャナが「中興の祖(ちゅうこうのそ)」として称えられていること。

これらのラストショットから、滅びの淵にあった世界(人類)は、墓所の崩壊後すぐに滅亡したのではなく、ナウシカの望み通り、自然と共に生き残っていることが分かる。

参考元ソース(以下)
ウィキペディア:「風の谷のナウシカ(映画)」
ウィキペディア:「風の谷のナウシカ(原作版)」

ナウシカの都市伝説:6選 ~王蟲(オーム)や腐海・巨神兵や火の七日間の真実。そして登場人物全てが人造人間だった?~

「風の谷のナウシカ」が公開されて以降、登場人物やストーリー本編にて起こる各種事件など、ネット上では、”都市伝説” として様々な憶測が飛び交っており、多数のまとめサイトが乱立しています。

ということで、当章では、それら話題になっている「都市伝説」を以下にまとめてみました。

  • 【エヴァの監督である「庵野秀明」も携(たずさ)わっていた】

    「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・脚本家である「庵野秀明」

    実は彼がまだ、エヴァを世にリリースする前。。監督業をやる前のアニメーター時代に、ナウシカの映画版の原画を担当していた。

    担当したのは、作品後半の巨神兵のシーンを担当。巨神兵が王蟲達を焼き払う場面は、彼が作っている。

    のちに、庵野は、宮﨑駿を師匠として名を挙げていて、

    庵野氏が初監督を務めた「トップをねらえ!」では、

    「戦うヒロイン」・「人類の危機」・「環境破壊が原因で引き起こされる不治の病」・「巨大生物と人類の対決」・そして「巨神兵(ガンバスター)の登場」と、多くの部分で、「風の谷のナウシカ」と重なるところがあります。

    そして、ヒロインが宇宙で最初に乗るメカの愛称が「ナウシカ」と設定されています。

  • 【「腐海」とその生態系は、地球を綺麗にするための人工的な環境再生システムだった。】

    前章の後半でも述べましたが、原作版の最終巻では、旧世界の遺跡である「墓所」にて、ナウシカが ”世界の真実” を知ります。
    そこでは、瘴気(人類が生きていく事ができない毒)を吐き出す「腐海とその生態系」が、実は地球を綺麗にするための人工的な環境再生システムであることを知らされます。

    ナウシカは、この真実を知る前から、風の谷にある地下室での研究にて、人類を駆逐し悩ませてきた「腐海」のメカニズムについて、汚染された大地を浄化するための生態系であることは仮説していた。

    腐海に生えている植物は、清浄な水と空気の中で育った場合、瘴気を出すことなく、大きく育たない事

    そして、瘴気の毒素は腐海植物が地中の有毒物質を無毒化する過程で生じた代謝物であり、腐海植物が生息している地中を無毒化し終わると、植物は無害な結晶となって地中に還(かえ)る事になることも、ナウシカは地下室での研究にて判明している。

    だが、これらが実は、旧世界の人々によって人工的に創り出されている環境浄化システムであったことを、「墓所」にて知ることになる。

  • 【1000年前に起きた、巨神兵にて世界が焼きつくされた「火の7日間」も、最初から仕組まれていた・・】

    上記に繋がる内容になりますが、そもそもの1000年前に起きた「火の7日間」

    これらも、旧人類が最初から仕組んだ、最終戦争だった。

    巨大産業・技術文明が絶頂期に達していた、1000年前の時代。

    だが、それら産業文明によって、大地から自然の富を奪い取り、大気を汚し有毒物質を撒き散らし、これら深刻な公害問題はやがて急激な衰退期へと突入することになる。

    そこで、旧人類の一部の人達は考えた。

    ”破壊と再生”

    ”一度、全てを破壊し無に帰(き)そう”

    そこで起きたのが、のちに「火の7日間」と呼ばれる最終戦争。

    この戦争によって、兵器として使われた巨神兵が世界のほとんどを焼きつくし、複雑高度化した技術体系・産業文明は失われ地表のほとんどは不毛の地と化した。。

    兵器によって焼き払われ汚染された世界は、やがて有毒物質をまき散らすようになる。

    そこで、世界中の汚染された土地や有毒物質を浄化するために作られたシステムが「腐海」となるわけだ。

    このようにして、世界を再建するための遠大な計画の第一歩として、「火の7日間」があるわけである。

  • 【今生きているナウシカ達・人類は、旧人類が作り出した人造人間であり、やがては死ぬ運命にある。】

    こちらも、原作版の最終巻。。墓所にてナウシカが知ることになる、”世界の真実”です。

    ナウシカ達・現人類は、腐海によって軽度に汚染された環境下でも生存できるよう、旧人類が人工的に「毒」への耐性を加えた人造人間だったのである。

    さらに・・

    腐海によって、世界が完全に浄化されれば、腐海・生態系と共に絶滅する運命にあるということ。

    これは、

    1 : 腐海が世界中を浄化するまでに数千年はかかるため、旧人類は大気が浄化されるまで「卵」となり眠りにつくことに決める

    2 : 旧人類が全員眠ってしまうと、その眠りを覚ます者がいなくなるため、眠る前に人造人間を精製(これが、現人類・ナウシカ達)

    3 : 眠りから覚めた際、人造人間と争いが起こる可能性があるので、人造人間は浄化された大気では生きていけないように造り上げる。



    このように、旧人類が、自分たちのために、人間までも人工的に改変し造り上げてしまったのである。

  • 【「らん、らんらら らんらんらん~」を歌っているのは、4歳の女の子である】

    映画版の挿入歌として有名なこの曲。

    本編では、感動的で神秘的なシーンの時に流れる、この曲だが、タイトル名は「遠い日々」

    そして、この歌を歌っているのが、なんと、作曲担当の久石譲氏の娘で、当時4歳の麻衣さんであった。

  • 【「ナウシカ」という名前は、ギリシャ神話から持ってきている】

    ギリシャ神話の叙事詩:「オデュッセイア」という物語に登場するスケリア島の王女:「ナウシカアー」から取ってきています。

    参考元:ウィキペディア:「ナウシカアー」

    また、ナウシカの性格や人物像のモデルとしては、日本の古典文学「堤中納言 物語(つつみちゅうなごん ものがたり)」に登場する「虫愛づる姫君」と、宮﨑駿は語っています。

以上、ナウシカ関連で、話題になっている ”都市伝説”でした。

最後に・・・「風の谷のナウシカ」で僕が最も好きなキャラクターと記憶に残ったシーン。。そして、他の宮崎駿・ジブリ作品について

上述でまとめてきた通り、この作品・・特に原作版は、多数のテーマ・メッセージ性を持っていて、ものすごく深く・ものすごく壮大なストーリーとなっています。

ナウシカと言えば、”自然回帰”や ”自然共生” といったテーマであると、端的に言われやすいが、もっと複雑で、もっと壮大なメッセージが多く含まれている。

  • まずは、「戦争批判」

    トルメキアとドルク帝国の二大勢力が、自国の利益の為に戦争を始めたことによって、それまで平和に暮らしていたその周辺諸国まで巻き込んで、多数の人の命が失われ、多数の土地が不毛の大地となってしまった。。

    ストーリー本編では、女性や子供の命も、容赦なく奪われるといった残虐な描写もしばしば描かれている。

    さらに、腐海や王蟲・巨神兵といった、人類以外の生態系を「殺戮破壊兵器」として利用したことで、被害はさらに甚大になっていき、取り返しの付かない状態へ。。

    犠牲は、また新たな犠牲を呼び、どんどんと悪循環に陥っていく。。戦争の影響は、人類以外にも及んでいった。

    結果・・・二大勢力であった、トルメキアとドルク帝国、またその周辺諸国は、そのほとんどが崩壊。。国の解体を余儀なくされた。

    これらは、一部の私欲に溺れた愚かな人達(2大王国の王族達)のおこない(戦争等)よって、自分たちだけではなく、多くの人々や自然・大地、その他生態系の犠牲・崩壊していく様が描かれており・・・

    いかに、人間の愚かさや憎悪・復讐によって、世界を破滅に導いているのかを物語っています。

  • また、ナウシカの見所として、「王族内の権力争い」も外せません。。

    人間の私利私欲というものは、いかに汚くて醜いものであるか・・

    それは、トルメキア王国の血みどろの王族争いを見ていれば明らかで、自身が、次期国王となるならば、「兄弟殺し・子殺し・親殺し」も厭(いと)わない。

    ストーリー本編では、クシャナ(末娘)の指揮する軍に対して、わざと、破滅すると分かっているような不利な戦場へ派遣させたり、敵(ドルク帝国)に情報を漏洩するといった、陰謀的争いも、描かれています。

  • そして、原作版では大きなテーマとなっている、「宗教」

    特にドルク帝国の宗教政治・宗教問題の悲惨さが描かれており、

    ドルク帝国の植民地となった国々は、自分たちの言葉を喋ってはいけない。異教徒のものは、その言葉を喋るだけでも罪となり、場合によっては火あぶりの刑とされてしまい、逆らうやつは、壁にはりつけられて皆殺しされてしまうといった、残虐なシーンが描かれています。

    また、そーいった状況に不満を抱えていた植民地の国々が、ドルク帝国へ反旗を翻(ひるがえ)すといった、内戦も勃発。それは、「宗教戦争」と言っていいでしょう。

    また、ナウシカの世界観である、絶望のディストピア世界。

    このような世界だからこそ、なにかすがるモノがほしい。。慕うモノがほしい。。信仰するモノがほしい。。

    そーいった、ディストピア世界特有の、人類の価値観から、宗教の必要性についても、描かれています。

    宗教的な哲学や思想でいえば、

    ドルク帝国は、まさに「一神教」です。人々は、ドルクの皇帝を「神」のように信仰し、皇帝の言う事が、絶対の世界です。

    そこから、はみ出す者・逆らう者は、容赦なく排除される世界。神の教えは、絶対なのです。

    (ちなみに、キリスト教やユダヤ教も、一神教です。)

    これに対して、ナウシカや森の人達は、「多神教」です。

    「私達の神は 一枚の葉や一匹のムシにすら宿っている」といった、全ての生命に神は宿っている。。といった思想・考え方です。

    だからこそ、ナウシカは、トルメキア王国であろうと、ドルク帝国であろうと、腐海の動植物であろうと、王蟲であろうと、立場的に味方であろうと敵であろうが、人類であろうが・無かろうが関係なく、傷ついている生命を助けようとするのです。

    (ギリシャ神話や日本の神(仏教?)なんかが、多神教です。)

このように、「戦争批判」や「王族の権力争い(醜くて汚い、だからこそ人間味あふれる人間ドラマ)」・そして「宗教問題」・・・これら多くのテーマを一つの物語として表現しているのが、「風の谷のナウシカ」なのです。



ちなみに、ココからは蛇足ですが、僕が個人的に最も好きなキャラクターは、トルメキア王国のクシャナです。

原作の第三巻の中盤。。

自分(クシャナ)が必死に育ててきた部下達を、目の前で何もできずに、ムザムザと敵軍に殺されていくシーン。

その部下達は、神速の機動攻撃を得意とする優秀な武装集団であったが、クシャナの兄達の陰謀によって、殺されてると分かっていた戦場に、わざと配置されていた。。それは、兄達が、クシャナが育ててきた部下達だからと目の敵にしていからだった。

自分の部下達が、目の前でムザムザと殺されたあと、彼女(クシャナ)は、その光景を目に焼き付け、次のように言葉を残します。

風の谷のナウシカの原作漫画版 クシャナの感動シーン-1

ナウシカの数あるシーンの中で、僕個人的に最も記憶に残ったシーンが、この描写でした。

この描写から、僕はクシャナ・ファンになりました。

風の谷のナウシカのクシャナファンの男性-9

(おそらく、クシャナ・ファンは多いんじゃないかな・・)

ということで、長らくまとめてきましたが、、僕は、この作品(原作版)が、宮崎駿作品の中で、最も深く壮大で面白い作品だと思っています。

ちなみに、ナウシカ以外の、宮崎駿・ジブリ作品についても、以下の記事にてまとめているので、ぜひ見てみてください。

→ スタジオジブリのアニメ映画(作品)ランキング一覧:top8 & 都市伝説(裏話)と人気キャラクターの名言・名セリフまとめ

では。

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