PSYCHO-PASS(サイコパス)で引用された本まとめ!槙島聖護や狡噛慎也などが、おすすめしていた書籍・小説

PSYCHO-PASS(サイコパス)で、槙島聖護等がおすすめ引用している本・小説をまとめているオタク

どーもー、先日アニメ:「PSYCHO-PASS(サイコパス)」の、1期・2期・劇場版と一通り見てみて、槙島 聖護(まきしま しょうご)に惚れてしまった「ゆとり」でーす。

哲学的であり、重くて深く、色々と考えさせられる世界観やストーリーにドハマリしていったわけですが・・

PSYCHO-PASS(サイコパス)とは・・・

舞台は、2112年の日本(約100年後)

人間のあらゆる心理状態や性格的傾向が、システムによって数値化され管理される世界。

この数値化された値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び、このサイコパスを元に、人々はシステムによって管理された。

  • 人々の適正(向き・不向き)・・・その人に向いてると判断された職業やスポーツ・勉強など
  • 人々の相性・・・その人に向いてると判断された友人や結婚相手など
  • 人々の犯罪係数・・・その人が、犯罪を犯しそうか・そうでないかが、数値化判定される。

これら全てが、システムによって決められる。

もし仮に、その人が何も悪い事を犯して無くても、その人の犯罪係数が高ければ、「潜在犯」として隔離施設に隔離され、場合によっては死刑もありえる。

このように、人々の将来。。そして「生死」までもが、自らの意思とは無関係に、システムによって全てが決められてしまう世界。

これが、サイコパスの舞台です。

そして、このような完全なる管理社会においても発生する犯罪を取り締まるのが、警察組織「公安局」

ストーリー本編では、次々と猟奇的・凄惨で、不可思議な事件が起こっていき、それらに対応していく公安局の刑事が、主人公となっています。

「PSYCHO-PASS(サイコパス)」のあらすじや、感想・考察については、以下の記事にもまとめているので、ぜひ見ておいてください。

→ PSYCHO-PASS(サイコパス)のアニメ「1期・2期・劇場版映画」の感想・評価や考察まとめ(最終回等のネタバレ注意)

で・・・

実際に、サイコパスを見た人なら分かると思いますが・・

ストーリー本編で、登場人物が口にするセリフには、造詣が深く哲学的で、考えさせられる内容がかなり多く詰まっていて、

そこには、過去に実在した有名な思想家・哲学者の名言や、有名な哲学書や小説の言葉が、多数引用されています。

ということで今回・・

サイコパス本編の登場人物が口にするセリフで引用している思想家・哲学者や、

槙島 聖護(まきしま しょうご)をはじめ、登場人物が読んでいる本や小説をまとめてみました。

” 本好きの槙島が随所で読んでいる書籍は、シナリオでそのタイトルが全て指定されている。書籍は主に深見氏が脚本を書きながらチョイスし、虚淵氏と相談して決めていて、その先の展開の暗示が込められているという。”

参考元:NAVERまとめ:槙島聖護氏のオススメ書籍(PSYCHO-PASS)

【全21選】:PSYCHO-PASS(サイコパス)で引用されている本や哲学者まとめ ~槙島聖護や狡噛慎也などが、おすすめしている書籍・小説~

サイコパスで槙島聖護や狡噛慎也などが、おすすめしている書籍・小説・本まとめ-2

ということで、ストーリー本編の各回ごとに、哲学者や小説の内容を引用している「登場人物」と、その「該当シーン」、そして「引用元情報」について順にまとめていきます。

  1. 【全話:シビュラ・システム】

    まず、「PSYCHO-PASS」の本編にて、社会(世界)を支配・管理している、「シビュラ・システム」の意味から。

    ”シビュラ” とは・・・「アポロンの神託を受ける巫女(みこ)」といった意味があります。

    アポロン・・・ギリシャ神話の太陽神。本来は『芸術の神』だが、のちに太陽神としての神格が付随された。「ゼウス」と「レト」の子で、月の女神アルテミスの双子の兄でもある。

    要は、「神」ですね!

    参考元:ピクシブ百科事典:アポロン

    そして、この「アポロン(神)」から、人間に対しての「お告げ(神託)」を伝えるために存在する巫女が「シビュラ」と言われています。

    人間に「お告げ」をするときは、神の意志が宿るという、この「シビュラ」が、『シビュラ・システム』の意味になります。

    参考元:コトバンク:シビュラ

  2. 【3話:カネハラの元に送りつけられた謎のメモリー、そのファイル名:ウィリアム・ギブスン:『Johnny Mnemonic(和訳:記憶屋ジョニー)』】

    八王子・ドローン工場の回です。

    そこの工場で勤務する職員:「金原(カネハラ)」の元に送りつけられた、ドローン安全装置を解除するプログラムのメモリーファイル

    そのファイル名が、「Johnny Mnemonic」という名前でした。

    (おそらく、「チェ・グソン」が送っている。)

    その「Johnny Mnemonic」が、SF作家ウィリアム・ギブスンによる短編小説のタイトル。

    この作品は、ギブスン作品によくみられる、巨大企業に支配される近未来のディストピアが描かれています。

    1995年には、映画化もされ・・・

    『JM(ジェイエム:Johnny Mnemonic)』・・・「Johnny Mnemonic」を原案とした、SF映画。

    あらすじは、脳に埋め込まれた記憶装置に情報を記録する運び屋:「ジョニー・ニーモニック(キアヌ・リーブス役)」

    ジョニーは、通常のネットワークに晒すことのできない機密情報を記録して運ぶ不正取引人(運び屋)で、

    ある日、彼は装置の安全許容値を超える情報を運ぶことになり、それは彼にとって想像を超える金銭的価値のある機密情報で、時間内に取り出さなければ彼の死を意味する事にもなる(脳が破壊される)。

    そして、その機密情報の持ち主である企業の殺し屋に追われる身となり・・・

    ということで、「Johnny Mnemonic」を知りたければ、まずはこの映画を見れば良いようです。

    参考元:ウィキペディア:JM(映画)

  3. 【4話:マサオカ執行官のセリフ:フリードリヒ・ニーチェ:『善悪の彼岸』】

    マサオカ執行官が、油絵を書きながら、つねもり監視官の相談を聞き、答えたシーン(以下セリフ)

    「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。」

    この言葉は、フリードリヒ・ニーチェ(著)の『善悪の彼岸』より引用されている言葉です。

    フリードリヒ・ニーチェ・・・ドイツの有名な哲学者

    書籍(和訳版):光文社 : 「善悪の彼岸」

  4. 【4話:槙島聖護(まきしましょうご)が読んでいた本:ジョージ・オーウェル:『1984年』】

    ジョージ・オーウェルは、イギリスの有名作家で、

    彼の描いた『1984年』は・・・ディストピア小説の系譜を引く作品で、スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。

    なお、「1984年」という年号は、本作が執筆された「1948年」の「4」と「8」を入れ替えたアナグラム説など・・・その他にも諸説ある。。(著者:ジョージ・オーウェルは、タイトルについては言及していない)

    あらすじは・・・

    1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。

    さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている世界。

    作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。

    そんな中、主人公はロンドンに住むウィンストン・スミスで、真理省・記録局に勤務する党員で、歴史の改竄(かいざん)作業が仕事だった。

    それら作業や日々の事件や出来事によって、体制側への疑いが生まれ、やがて「確信」へと変わっていく。そして、完全にタブーとされている、体制の裏側まで知ってしまったスミスは・・・

    この作品によって、多数の文学作品や映画が、のちに影響を受けていると言われている。

    → ウィキペディア:1984年(小説)-文化的影響

    ※あらすじを見る限り、サイコパスも、影響を受けている可能性が高いですね。

    こちら、和訳版の作品は、以下がおすすめです。

    Amazon : 一九八四年 [新訳版] (ハヤカワepi文庫)

  5. 【5話:マサオカ執行官の言及した本:ジャック・ルソー:『人間不平等起源論』】

    マサオカ執行官が、つねもり監視官と話していた時に、話題に出した本。

    それが、ジャック・ルソー(著):『人間不平等起源論』

    『人間不平等起源論』・・・1755年にフランスで発表された、哲学者ジャック・ルソーによる政治哲学の古典的著作であり、人間の不平等についての論文である。

    この本の概要・・・

    元来、人間は自然状態においては言語、教育、階層は何もなかったために、そのような社会階層では不平等は存在しなかった。

    しかし、人間が改善能力を発揮し、相互に協力するような理性を獲得すると社会に不平等な階層が生じるようになった。

    なぜなら、人間が法律や所有権の制度を発明・導入することによって家族・農業の実現による不平等が発展することになる。

    また為政者の職業が確立させると不平等は固定化され、為政者は武装しながら社会制度や法制度を整備することで被治者を組織的に支配する専制的権力を準備する。

    このように社会制度が整備されると自然状態で感じていた不便よりも大きい不便を感じるようになり、不平等とは人間にとって自然な結果である。

    しかし、法律によって人為的に許容される不平等が、自然な不平等よりも大きいならばそれは容認できない。なぜならそれは不自然な不平等であり、自然法に反するものであるからである。。

    ・参考元:ウィキペディア:「人間不平等起源論」

    ちなみに、こちらの和訳版(書籍)が、以下になります。

    Amazon:「人間不平等起源論(光文社古典新訳文庫)」

  6. 【5話:槙島 聖護(まきしま しょうご)が言及する本:寺山修司:『さらば、映画よ』】

    ミドウマサタケへの、最後のメッセージとして、槇島が言及する本。

    槇島:「ねぇ君、寺山修司を読んだことは?」

    槇島:「読むといい。戯曲『さらば、映画よ』。皆誰かの代理人なんだそうだ。代理人たちがさらにアバターを使って、コミュニケーションを代理させている。」

    寺山修司(1935年12月10日 – 1983年5月4日)は、日本の歌人であり劇作家だった人です。

    「言葉の錬金術師」・「アングラ演劇四天王のひとり」・「昭和の啄木」・「覗き見マニア」・「エロスのアナキスト」・「政治嫌いの革命家」・「ジャンルを超えたコラージュの達人」・「あしたのジョーを愛した男」・「三島由紀夫のライバル」・「生まれながらのトリック・スター」・「サブ・カルチャーの先駆者」等々の異名をとって、

    俳人、詩人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、俳優、写真家などとしても活動し、膨大な量の文芸作品を残している。

    『さらば、映画よ』の、書籍については、以下。

    戯曲:「毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている」 (角川文庫)

    (「毛皮のマリー」・「血は立ったまま眠っている」・「さらば、映画よ」・「アダムとイヴ、私の犯罪学」・「星の王子さま」と、5作の戯曲が収録されています。)

  7. 【6話:王陵璃華子(おうりょうりかこ):シェイクスピア:『12夜』・『マクベス』・『タイタス・アンドロニカス』】

    王陵璃華子が在籍する女子校の、とあるクラスの文学の授業の内容が、シェイクスピア:喜劇の『12夜』で、、

    王陵璃華子が、同じ学園の女子生徒にオススメする作品が、悲劇の『マクベス』と『タイタス・アンドロニカス』。

    ウィリアム・シェイクスピア(1564 – 1616)は、誰もがご存知、イングランドの劇作家、詩人であり、最も優れた英文学の作家と言われている。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写が多いことが特徴。

    四大悲劇である「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、

    「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。

    2002年に、BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」の投票で第5位に選出されている。

    参考元:ウィキペディア:ウィリアム・シェイクスピア

    では、サイコパス:第6話で出てきた「3つ」のシェイクスピア作品を紹介していきます。

    1:『12夜(喜劇)』

    あらすじ・・・ウィキペディア:「十二夜」:あらすじ

    この『12夜』は、映画化もされており、

    → 十二夜(1996年の映画)

    和訳版小説のオススメは、以下になります。

    シェイクスピア全集(6):『十二夜(ちくま文庫)』

    以上。。次に

    2:『マクベス(悲劇)』

    『マクベス』は、実在のスコットランド王マクベスをモデルにしている作品で、『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』と並ぶシェイクスピアの四大悲劇の1つで、その中では最も短い作品であり、最後に書かれたものと考えられている。

    あらすじは、勇猛果敢だが、小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って(はかって)主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐にあってしまい・・・

    参考元:ウィキペディア:「マクベス(シェイクスピア)」

    和訳版小説は、以下がおすすめです。

    → Amazon : 新訳「マクベス(角川文庫)」

    また、2016年には、劇場版で映画も公開されるとのこと(ジャスティン・カーゼル監督)

    → シアター:映画『マクベス』のあらすじとキャスト

    以上、最後に・・・

    3:『タイタス・アンドロニカス』

    こちらは、1590年前後に書かれたとされる、最初期の悲劇作品で、シェイクスピアの作品中、最も残虐で暴力に溢れているという点で異質な戯曲であり作品である。。

    あらすじ概要は、以下でまとめられています。

    → ウィキペディア:「タイタス・アンドロニカス」:あらすじ

    (上記のあらすじ内容からも、かなり残酷な作品であることが分かります。。)

    また、1999年には、映画化もされており・・

    All Cinema:「タイタス(1999)」

    小説は、以下がオススメです。

    Amazon:シェイクスピア全集(12)「タイタス・アンドロニカス(ちくま文庫)」

    以上、、

    サイコパス:第6話で出てきた「3つ」のシェイクスピア作品でした。

  8. 【6話:槙島聖護(まきしましょうご):シェイクスピア:『ファースト・フォリオ(戯曲をまとめた作品集)』】

    6話で、もう1つ。

    槙島聖護も、美術室で王陵璃華子と一緒にいるシーンで、「シェイクスピア」を読んでいます。

    槇島:「辱め(はずかしめ)を受けた命から解放されて、ラヴィニアは幸せだったと思うかい?」

    王陵璃華子:「娘がはずかしめを受けたあとも生きながらえ、その姿をさらして、悲しみを日々新たにさせてはなるまい。でしたっけ?」

    槇島:「美しいハナもいずれは枯れて散る。それが命あるもの全ての宿命だ。ならいっそ、咲き誇る姿のままに、時を止めてしまいたいと思うのは、無理も無い話だね。」

    引用元 : シェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」

    このセリフの引用元は、「タイタス・アンドロニカス」ですが、

    槙島聖護が読んでいる本は、『ファースト・フォリオ』という作品。

    こちらは、シェイクスピアが生涯で残した戯曲の作品集です。

    正式な題(タイトル)は、「ウィリアム・シェイクスピアの喜劇、史劇、悲劇」

    参考元:ウィキペディア : 「ファースト・フォリオ」

    上記によれば、全「36」もの戯曲がまとめられてるとのこと。

    ただ、個人的には、このように1つにまとまったモノを購入するよりも、一つ一つ単体で気になるモノだけを購入していく事をオススメします。

    オススメは、ちくま文庫の「シェイクスピア全集1~27」:松岡 和子(翻訳)

    → 筑摩書房 : 松岡 和子の著書一覧

    (自分が読んだのは、とりあえず、サイコパス本編で言及されている、上記で挙げた「3つ」の作品のみです)

  9. 【7話:王陵 璃華子(おうりょう りかこ):キルケゴール:『死にいたる病』】

    こちらは、王陵 璃華子の部屋で、彼女のベッドの上には、同じ学園の女子生徒の死体が。。そこで、彼女が口にするセリフ。

    「父が好きだったキルケゴールの言葉よ。『人間は動物より勝っているからこそ、言い換えれば人間は自己であり精神であるからこそ、絶望することができるのである。』」

    「絶望を知らなければ希望もない」

    キルケゴール(1813年5月5日 – 1855年11月11日)とは・・・デンマークの哲学者であり思想家。「実存主義」の創始者と言われ評価を受けている。

    参考元:ウィキペディア : セーレン・キェルケゴール

    そして、

    今回引用されているのが、『死にいたる病』 という著書。

    こちらは、キェルケゴールの哲学書で、副題が『教化と覚醒のためのキリスト教的・心理学的論述』である。

    第一部 : 「死に至る病とは絶望である」、第二部 : 「絶望とは罪である」の二部で構成され、著書として名高い。

    参考元:ウィキペディア : 『死に至る病』

    和訳版は、以下がオススメです。

    Amazon : 「死にいたる病(現代の批判(白水uブックス))」

  10. 【7話:槙島聖護:シェリダン・レ・ファニュ:『女吸血鬼カーミラ』】

    こちらは、槙島が「せんぐうじ とよひさ」と話していた時・・・

    (王陵 璃華子の父親の死に至った病:「ユーストレス欠乏性・脳梗塞」に関して)

    この時に読んでいる本です。

    この本:『女吸血鬼カーミラ』の著者が、

    「シェリダン・レ・ファニュ(1814年8月28日 – 1873年2月7日)」・・・アイルランド人の小説家で、怪奇小説とミステリーを得意とした怪談作家であり、19世紀以降の短編小説のジャンルに大きな影響を与えた人物とされています。

    参考元:ウィキペディア : シェリダン・レ・ファニュ

    そして、

    『女吸血鬼カーミラ』とは・・・シェリダン・レ・ファニュが、1872年に著した怪奇小説で、

    後に、世界的人気となる、ブラム・ストーカーの吸血鬼小説:『ドラキュラ(1897年)』に多大な影響を及ぼした。

    参考元:ウィキペディア : カーミラ

    また、こちらを原作とした映画もいくつか上映されていて、特にオススメなのが、以下になります。

    『バンパイア・ラヴァーズ』 ・・・ 1970年:公開。監督:ロイ・ウォード・ベイカー

    また、和訳版小説は、以下になります。

    Amazon:「女吸血鬼カーミラ」

  11. 【8話:槙島聖護:シェイクスピア:「タイタス・アンドロニカス」】

    こちらは、桜霜(おうそう)学園ラストの回。

    槙島聖護からの、王陵 璃華子への最後のメッセージ。

    「王陵 璃華子、なぜ僕を失望させるはめになったのか・・君自身に自覚はあるかな」

    「うん、自覚がなければ反省のしようがない。やはり君にはこれ以上の成長は期待できないようだ。」

    「残念だよ。はじめはもっと前途の有望な子だと思ってたんだよ。」

    「”ゴートの女王”:タモーラのセリフだったかな。可愛い息子たちからのご褒美をうばうことになる。あの子達の情欲は満たしてあげねば。」

    「この女の涙を見るのは、あなたの名誉になる。ただし、心を火打ち石にして、涙の雨だれなど跳ね返すこと。」

    「この女の生涯は野獣に似て、哀れみに欠けていた。死んだ今は、夜鳥程度の哀れみが似つかわしい」

    引用元 : シェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」

    おそらく、こちらは「タイタス・アンドロニカス」の本編・・・タイタスの娘:「ラヴィニア」が、タモーラの息子達に夫を殺され、さらに強姦された上に、口封じのため舌と両手を切り取られるシーンを彷彿とさせる・・・王陵 璃華子への最後のメッセージだったのでしょう。

  12. 【9話:泉宮寺 豊久(せんぐうじ とよひさ):プラトン:『肉体は魂の牢獄だ』】

    『肉体は魂の牢獄だ』

    こちらは、泉宮寺 豊久が、取材を受けている最中に口にしたセリフで、プラトンの名言を引用した言葉になります。

    プラトン(紀元前427年 – 紀元前347年)とは・・・古代ギリシアの哲学者で、ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。

    プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者:「ホワイトヘッド」は、” 西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である。” という趣旨のことを述べたとされている。

    著書としては、『ソクラテスの弁明』や『国家』等が有名である。

    参考元:ウィキペディア : プラトン

    また、

    『肉体は魂の牢獄だ』 ・・・ この言葉が引用されているのが、以下の名著になります。

    書籍 : Amazon : 「パイドン ― 魂の不死について(岩波文庫)」

    ちなみに、『肉体は魂の牢獄だ』の解釈については・・・

    人間は、生きていくために様々な制限があります。

    ・お腹が空いたら、食料を食べなければいけない。
    ・眠たくなったら、睡眠をとらなければならない。
    ・寒くなったら、体を温めないといけない。

    このように、人間は、肉体を通して様々な制限がある中、生きているのです。

    これらの事から、プラトンは『肉体は魂の牢獄だ』という言葉を残したのでしょう。

    これは、脳と神経系以外をサイボーグ化している「泉宮寺 豊久」からも、合点がいきます。

  13. 【11話:槙島聖護:ルネ・デカルト:『情念論』】

    槙島聖護と、常守朱(つねもりあかね)が初めて対峙する緊迫したシーンで、常守の親友が、槙島によって殺される時のシーンです。

    『デカルトは、決断ができない人間は、欲望が大きすぎるか悟性(ごせい)が足りないのだと言った』

    このセリフを、槙島は、常守に対して投げかけます。

    これは、どのような意味を持ってるのか・・・

    サイコパス・脚本家の深見さんは、以下のように回答しています。

    「第11話の、朱(あかね)との対話で語った ・・・ ”デカルトは、決断ができない人間は、欲望が大きすぎるか悟性が足りないのだと言った” は、

    『情念論』(ルネ・デカルト著、1649年・フランス)からです。

    ”自分は綺麗なままでいたい上に、友人も助けたい。なんていうのは、欲望が大きすぎるんじゃないかな” ということですね」

    by 深見真

    これを聞いて、該当のシーンを想像したら「なるほどな!」って感じですよね。

    ちなみに、

    ルネ・デカルト(1596年3月31日 – 1650年2月11日)とは・・・フランス生まれの哲学者・数学者で、「近代哲学の父」と称されているようです。

    参考元 : ウィキペディア : ルネ・デカルト

    また、

    『情念論』は、1649年に「デカルト」が執筆した著作で、

    デカルトは本書で、精神の知覚や感覚、感動、すなわち「情念」を主題として研究を行っている。

    本書の内容は「人間本性と情念の基本」について論じた第1部に、多種多様な「情念」を論じる第2部。
    そして、特殊な情念について論じる第3部から成り立っている。そうです。

    参考元 : ウィキペディア : 「情念論」

    和訳版は、以下がおすすめです。

    Amazon : 「情念論(岩波文庫)」

  14. 【13話:狡噛慎也(こうがみしんや):ジョセフ・コンラッド:『闇の奥』】

    こちらは、VS「泉宮寺 豊久(せんぐうじ とよひさ)」によって、入院した時に、ベッドの上で読んでいた本です。

    ジョセフ・コンラッド(1857年12月3日 – 1924年8月3日)・・・イギリスの有名な小説家で、

    代表作には、『闇の奥』・『ロード・ジム』・『ナーシサス号の黒人』・『文化果つるところ』・『密偵』などがある。

    参考元 : ウィキペディア:「ジョゼフ・コンラッド」

    また、『闇の奥』は、1899年に発表された、西洋文化(西洋植民地主義)の暗い側面を描写した小説で、

    「英語で書かれた、20世紀の小説ベスト100(ランダム・ハウス、モダン・ライブラリー選出)」にも選ばれている。

    「闇の奥」というタイトルは、アフリカ奥地の闇でもあるが、人間の心の闇、西欧文明の闇をも含意していると考えられている。そうです。

    参考元 : ウィキペディア:『闇の奥』

    また、この『闇の奥』は、1979年に映画化もされているそうで・・

    → 『地獄の黙示録』・・・監督:フランシス・フォード・コッポラ。

    和訳版の小説は、以下がおすすめです。

    Amazon : 『闇の奥(光文社古典新訳文庫)』

  15. 【14話:槙島聖護:岩上 安身(いわかみ やすみ):『あらかじめ裏切られた革命』】

    ヘルメット事件の回・・・とある部屋でソファに座りながら、槇島が読んでいた書籍です。

    (その後、ヘルメット暴動計画のことを、チェ・グソンに電話しています。)

    岩上安身(1959年生まれ)とは・・・日本のフリージャーナリストで、ノンフィクション作家です。

    テレビのドキュメンタリー番組のリポーターやコメンテーターも務め、政治、経済、事件、医療・社会問題、思想・宗教問題、家族問題、文化、スポーツなど。幅広い分野で取材、執筆、発言を続けている。

    参考元 : ウィキペディア:岩上安身

    そして、

    『あらかじめ裏切られた革命』・・・1989年 ~ 1994年まで、6年間をかけて、旧ソ連・東欧圏を取材し、1996年にソ連の崩壊とロシアの民主化の実相を描いたノンフィクション作品です。

    同年には、同書で第18回「講談社・ノンフィクション賞」を受賞している。

    「作品概要」 ・・・ 20世紀最大の実験、ソビエトは無残に崩壊した。都市に拝金主義が横行しマフィアが跋扈(ばっこ)する時、地方では血みどろの民族紛争が激化する。

    色褪せた理想、剥出しの欲望。モスクワ、グルジア、チェチェンなど歴史的な大転換の現場にとびこみ、渾身の取材でロシアの闇に迫った作品。

    → Amazon : 『あらかじめ裏切られた革命(講談社文庫)』

  16. 【15話:槙島聖護:フィリップ・K・ディック:『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』】

    槇島 : 「落ち着かないかね?」

    チェ・グソン : 「そりゃね、不安にもなりますよ。果たしてここから先に何が待っているのか。この街がどうなってしまうのか。」

    ま : 「君のそういう普通なところ、すごくいいと思う。僕も君も、ごく普通で本質的にありきたりな人間だ。」

    ま : 「自分の事を欲張りだと思ったことはないよ。当たり前のことが当たり前に行われる世界。僕はそういうのが好きなだけでね。」

    チ : 「ごく普通でありきたりな我々が、普通でない街に犯罪を仕掛ける。」

    ま : 「 ”普通でない街” か・・・何だろうな、昔読んだ小説のパロディみたいだ。この街は。。」

    チ : 「例えば・・・ウィリアム・ギブスンですか?」

    ま : 「フィリップ・K・ディックかな。ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的でなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない。」

    チ : 「ディック・・・読んだことないなぁ。最初に一冊読むなら何がいいでしょう?」

    ま : 「 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 」

    上記は、槇島とチェ・グソンとの1シーンで、

    槙島聖護がチェ・グソンに勧めているのが、フィリップ・K・ディック の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』という本です。

    フィリップ・K・ディック(1928年12月16日 – 1982年3月2日)とは・・・アメリカのSF作家で、

    1963年 : 歴史の改変SF・『高い城の男』で、ヒューゴー賞・長編小説部門を受賞
    1975年 : 未知のパラレルワールドで目覚めた有名人を描いた『流れよ我が涙、と警官は言った』で、ジョン・W・キャンベル記念賞を受賞

    といった経歴を持っていて、SF界の天才と言われている。

    ウィキペディア:「フィリップ・K・ディック」

    そして・・

    『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』

    こちらも、数々の賞にノミネートされている「SF小説」

    簡単な「あらすじ」等は、以下にまとめられています。

    ウィキペディア : 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

    また、この作品は映画化もされており、

    『ブレードランナー(1982年)』 ・・・ SF映画の金字塔として評され、本作が提示した猥雑(わいざつ)でアジア的な近未来世界のイメージは、後に、小説・映画は元よりアニメ・マンガ・ゲームなど、様々なメディアの「SF作品」にも決定的な影響を与えることとなった。そうです。

    参考元 : ウィキペディア:『ブレードランナー』

    和訳版の小説は、以下がオススメです。

    Amazon : 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(ハヤカワ文庫 SF)』

    ※このシーンでは、「ジョージ・オーウェル」や「ウィリアム・ギブスン」も話題に出てますが、書籍については言及されていません。。(どちらも、上述でまとめています(3話と4話))

  17. 【16話:槙島聖護:ブレーズ・パスカル:『パンセ』】

    槙島 : 「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった」

    狡噛 : 「悪いな。俺は「誰かが、パスカルを引用したら用心すべきだ」とかなり前に学んでいる。」

    槙島 : 「そうくると思ってたよ。オルテガだな。もしも君がパスカルを引用したら、やっぱり僕も同じ言葉を返しただろう。」

    こちらは、槇島と狡噛が、「ノナタワー」の最上階で対峙した時の有名なシーンで、

    槇島が「パスカル」の言葉を引用し、それに対して、狡噛が「オルテガ」の言葉を引用したシーンです。

    まず、パスカル。

    正式名称が、「ブレーズ・パスカル(1623年6月19日 – 1662年8月19日)」

    フランスの哲学者で、思想家・数学者・キリスト教神学者。

    「人間は考える葦(アシ)である」などの多数の名言や、「パスカルの賭け」などの多数の有名な思弁(しべん)がある遺稿集(いこうしゅう) : 『パンセ』が代表作で、

    (「人間は考える葦(アシ)である」という言葉は、”人間は自然の中で葦のような弱いものだが、思考するという他の動物とは違った偉大な能力をもった存在である” という意味です。)

    その他、『パスカルの三角形』、『パスカルの原理』、『パスカルの定理』などが有名。

    参考元 : ウィキペディア : ブレーズ・パスカル

    ちなみに・・

    槇島が引用した、”正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった” という言葉は、『パンセ』から引用されている。

    『パンセ(1669年)』 ・・・ パスカルが生前に構想していた書物のための原稿やメモ書きの断片が、死後に整理されて出版されたものである。

    様々なテーマについての文章が含まれており、哲学書(形而上学、自然哲学、世界論、宇宙論、人間学、倫理学、人生論)、モラリスト文学、信仰のための神学書などとして読まれてきている。

    ちなみに、「パンセ」という言葉は、日本語で「思考」という意味をもちます。

    また、サイコパス本編にて「槇島」が引用しているように、現在でも「パンセ」の中にある多数の言葉(名言)が、様々なところで引用句として使われ続けている。

    参考元 : ウィキペディア:『パンセ』

    和訳版は、以下がオススメです。

    Amazon:『パンセ(上)(岩波文庫)』

    (上・中・下があります)

    次に・・・

    狡噛慎也が引用した「オルテガ」

    正式名称が、『ホセ・オルテガ・イ・ガセト(1883年5月9日 – 1955年10月18日)』

    スペインの哲学者で、著書に『ドン・キホーテをめぐる思索(1914年)』、『大衆の反逆(1929年)』などがある。

    参考元 : ウィキペディア : 「ホセ・オルテガ・イ・ガセット」

    そして、狡噛が引用したセリフ:「誰かが、パスカルを引用したら用心すべきだ」

    このセリフが書かれているのが、

    オルテガの代表作:『大衆の反逆』

    「作品概要」

    オルテガの定義によれば「大衆」とは、『ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない』、つまり、『みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である』という。

    なので、一般に「大衆」として考えられる多数の労働者階級を指して批判しているのではない。

    むしろ、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた層に対して、『近代の原始人、近代の野蛮人』と激しい批判を加えている。

    参考元 : ウィキペディア:『大衆の反逆』

    和訳版のオススメは、以下。

    → Amazon : 『大衆の反逆(中公クラシックス)』

    では、二人(槇島と狡噛)の会話に戻りましょう。

    【槇島の引用した、『パンセ(パスカル著)』の該当部分】

    ”正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。

    力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。

    力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。
    正義のない力は、非難される。

    したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。

    正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。

    なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ。と言ったからである。

    このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。”

    参考元 : 『パンセ』:第五章 正義と現象の理由



    【狡噛が引用した、『大衆の反逆(オルテガ著)』の該当部分】

    しかし私は、誰かがパスカルを引用したら用心すべきだということをかなり前に学んでいる。

    したがって、大衆が自ら行動しようと試みることは、自らの運命に逆らうことであり、彼らが今日行なっていることはまさにこのことに他ならないので、わたしは大衆の反逆をここで問題としているのである。

    なぜならば、つまるところ、真に反逆と呼びうるものは、人間が自己の運命を拒否すること、自己自身に対して反逆すること以外にはないからである。

    また、大衆が勝利をおさめている今日、暴力が栄え、これだけが唯一の理性であり、唯一の教義であることは、もっと驚くにあたらないだろう”

    参考元 : まことの人のおとづれのあれ:「ディストピアへの叛逆~ポスト「PSYCHO-PASS」としてのまどマギ論」

    赤文字部分が、二人が引用したセリフです。

    で・・・上記から、二人のセリフを訳してみると、

    槇島 : 「力があるモノが正義になる。争いは勝ったモノこそが正義。(だから、力をもって、シビュラシステムの管理する社会に暴動・革命を起こした!)」

    狡噛 : 「自らの運命を否定する反逆行為は非常に危険だ。力を、力でおさえても、そこには暴力が満ちた世界しか残らない。混沌とした無秩序な世界だけが残ってしまう。。」

    といった感じでしょうか(あくまで、僕の訳です)

  18. 【17話:槙島聖護:ジョナサン・スウィフト:『ガリヴァー旅行記』】

    「まるで、バルニバービの医者だな。」

    「バルニバービのある医者が、対立した政治家を融和させる方法を思いつく。二人の脳を二つに切断して、再び繋ぎ合わせるという手術だ。これが成功すると、節度のある調和のとれた思考が可能になるという。」

    「この世界を監視し、支配するために生まれてきたと自惚れている連中には、何よりも望ましい方法だと、スウィフトは書いている。」

    上記は、槙島聖護が、公安局の局長(かつての、藤間幸三郎(とうま こうざぶろう))に、言ったセリフです。

    シビュラ・システムの正体が、大犯罪者の脳を使い回している事を知って、「皮肉」を言った一言ですね。

    ちなみに、上記は、ジョナサン・スウィフトの著書:『ガリヴァー旅行記』の内容を引用していて・・

    ジョナサン・スウィフト(1667年11月30日 – 1745年10月19日)とは・・・イングランド系アイルランド人の諷刺(ふうし)作家・随筆家で、政治パンフレット作者、詩人、および司祭である。

    主な著名に、『ガリヴァー旅行記』・『穏健なる提案』・『ステラへの消息』・『ドレイピア書簡』・『書物合戦』・『桶物語』などがある。

    参考元 : ウィキペディア:「ジョナサン・スウィフト」

    また、槙島聖護が引用した『ガリヴァー旅行記』

    正式な題名(タイトル)は、『船医から始まり、後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記(四篇)』

    1726年に発行された小説で、子供向け文学として翻訳される事が多い。

    しかし実際は、大いなる時事諷刺(ふうし)であり、性的なものも含めて子供には解せない内容を含んでいる。

    「法における判例上の対立」、「数理哲学」、「不死の追求」、「男性性」、「動物を含めた弱者の権利」等、今日の数多くの議論が、本作には予見されていて、

    今もなお本作は、全歴史を通じた偉大かつ不朽の風刺文学の一つとして、確固として成立している。

    参考元 : ウィキペディア:『ガリヴァー旅行記』

    また、映画化も複数回おこなわれており、

    ・『ガリバー旅行記(1939年)』・・・長編カラーアニメーション映画(原作とは大きく異る)

    ・『ガリバー / 小人の国・大人の国』 ・ 『ガリバー2 / 天空の国・馬の国』(1996年)・・・ガリヴァー旅行記の最も忠実な映像化であると言われている作品で、
    ガリバーの旅行記の場面と、精神病院に収監されたガリバーの場面が交互にフラッシュバックするのが特徴。

    ・『ガリバー旅行記(2010年)』・・・ロブ・レターマン監督。原作との相違点は多い。

    などなど。

    小説の和訳版は、以下がオススメです。

    Amazon:『ガリバー旅行記(角川文庫。2011/3)』

  19. 【19話:狡噛と雑賀 譲二(さいが じょうじ)の会話:マックス・ウェーバー等】

    雑賀:「マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、” 理想的な官僚とは憤怒(ふんぬ)も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間のこと。” だという。

    シビュラシステムはそういう意味では、理想の官僚制的行政に近いかもしれない。ただしそれは公表されているシビュラの仕様がすべて真実という前提の上での話だ」



    雑賀:「もしこの席に槙島もいたら、どんな風に参加してくると思う?」

    狡噛:「あいつは、「マックス・ウェーバー」を持ち出された次の瞬間には、「フーコー」や「ジェレミー・ベンサム」の言葉を引用して返すでしょう・・・

    ”システムというよりは、巨大な監獄では?
    パノプティコン:一望監視施設の最悪の発展形。最少の人数で最大の囚人をコントロールする。”

    もしかしたら、「ガリバー旅行記」あたりも引用するかもしれない。あの男はシニカルで歪んだユーモアの持ち主です」

    雑賀:「なるほど、進みすぎた科学と政治への風刺として」

    狡噛:「そういう男です」

    こちらは、狡噛と雑賀 譲二(さいが じょうじ)が会話している、とあるシーンです。

    シビュラシステムについてや、槙島聖護について考察しているシーンですが、ここでは、3人の学者や哲学者の名前を持ち出しています。

    ・「マックス・ウェーバー」 : 「理想的な官僚とは、憤怒も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間のことである。」

    ・「フーコー」

    ・「ジェルミーベンサム」 : 「最少の人数で最大の囚人をコントロールする、”パノプティコン” という一望監視施設」

    ではまず・・・

    マックス・ウェーバー(1864年4月21日 – 1920年6月14日)・・・ドイツの有名な社会学者・経済学者。

    参考元:ウィキペディア:「マックス・ヴェーバー」

    サイガ ジョウジが引用した・・

    「理想的な官僚とは、憤怒も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間のことである。」

    という言葉は、マックス・ウェーバーの著書:『権力と支配』が引用元となっています。

    『権力と支配』・・・ウェーバーの著作全体への入口とも言える本書は、「支配のあり方」を比較するために服従する側の動機から接近する。

    「服従のあり方」から見出される正当性のタイプに基づいた支配の三類型(合法的・伝統的・カリスマ的)にはじまって、一つ一つの概念を緻密(ちみつ)に検討する粘り強い論考は、やがて官僚制化の機制までも解き明かし、あらゆる「支配」の本質に迫る。

    社会の科学は、ここからはじまった。

    以下、和訳版のおすすめです。

    Amazon : 『権力と支配(講談社学術文庫)』

    次に、狡噛が引用した・・

    「ミシェル・フーコー(1926年10月15日 – 1984年6月25日)」:フランスの哲学者で、代表作は『言葉と物』・『狂気の歴史』・『監獄の誕生』・『性の歴史』など

    以下、代表作の一つ:『監獄の誕生』の概要。

    近代以降の刑罰は犯罪者を「監獄」に収容し精神を矯正させるものとなった。これは人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般に思われているが、「フーコー」はこうした見方に疑問を呈する。

    監獄に入れられた人間は、常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。

    功利主義者として知られる「ベンサム」が最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。

    さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘した。

    本書は監獄の状況を調査し、その状況の改善を要求する「フーコー」の実践活動(監獄情報グループ)とも結びついていた。

    参考元 : ウィキペディア:「ミシェル・フーコー」

    上記のように、「フーコー」は、「ベンサム(次に紹介)」の考案した「パノプティコン」についても言及し、

    監獄に限らず、現代の主な施設(学校、工場、病院等)は、社会やその施設のルールに従順な人間になるよう、監視し強制する施設だと説いている。

    これらの事から、狡噛は「槙島がシビュラによる監視社会を、風刺するセリフ」として引用するだろうと予想したのだろう。

    最後に・・・

    「ジェルミー・ベンサム(1748年2月15日 – 1832年6月6日)」・・・イギリスの哲学者・経済学者・法学者であり、”功利主義” の創始者として有名である。

    代表作としては、『釈義批評』、『統治論断片』、『道徳と立法の諸原理序説』、『法一般論』、『高利の擁護』、『パノプティコン』、『存在論・フィクション論』等。

    狡噛が、これらの中で持ち出したのが『パノプティコン』

    「パノプティコン」・・・全・展望監視システムのことで、ベンサムが考案した刑務所・その他施設の構想。

    『最小の人数で、最大の囚人を監視する事』 がテーマで、

    円形に配置された収容者の個室が、多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えないようになっている。

    一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができ、少ない運営者でもって、多数の収容者を監督することが構想されている。

    この構想・・・実際に建設される事は無かったが、彼のアイデアは後の世代の思想家や哲学者に示唆を与え、この設計思想は、現代の監視社会や監視施設を揶揄する時に引用されたりした。

    上記からも、フーコー同様、狡噛が「槙島がシビュラによる監視社会を、風刺するセリフ」として引用するだろうと予想したのが分かるだろう。

    また、サイコパスでは、もう一つ「ベンサム」の名言が使用されている概念がある。

    それが、「シビュラ・システム」だ!

    シビュラ・システムの価値基準や判断基準・行動原理に、「最大多数の最大幸福」といった言葉がある。

    これが、実はベンサムの言葉から引用されているのだ。

    ベンサムの考え方で有名なのが、「功利主義」と呼ばれる哲学だが、彼は、”正しさ” の定義に、「最大多数の最大幸福」である事と提唱している。

    「最大多数の最大幸福」とは・・・「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」という意味。

    これは、何よりも「社会全体」の幸福度を優先させる考え方であり、民主主義的な個人の人権などは、二の次である。。という考え方。

    極論を言えば、社会全体のためになるなら、何の罪も犯してない人を殺すことが「正義」になる考え方です。

    まさに・・・「犯罪係数」によって、人々の将来や生死を管理する「シビュラ・システム」の考え方。と言えるでしょう。

    参考元 : ウィキペディア : ジェレミ・ベンサム

  20. 【21話:槙島聖護が読んでる本:『新約聖書』】

    「イエスは別の例えを持ちだして言われた。天の国は次のように例えられる。ある人が良い種を畑にまいた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。」

    上記は、填島が一人、本を読みながら引用したセリフです。

    この言葉の引用元が、『新約聖書』で、、

    『新約聖書』・・・紀元1世紀から2世紀にかけて、キリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典です。

    この「新約聖書」におさめられた四つの福音書の一つである、「マタイによる福音書」

    この福音書の「13章」に、上記は記述されています。

    ※「マタイ」とは・・・新約聖書の福音書に登場する人物で、イエス・キリストの十二使徒の1人。聖書によればイエスの弟子となる以前は収税人であった。東方諸教会・正教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人とされる。

    参考元 : ウィキペディア:『マタイによる福音書』

    以下、「13章」の一部分です(引用された箇所)

    イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。

    「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。

    芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。

    『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』

    主人は、『敵の仕業だ』と言った。

    そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、

    主人は言った・・・『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。

    刈り入れの時、まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい。と、刈り取る者に言いつけよう。』 」



    それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。

    すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

    イエスはお答えになった。

    「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。

    毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。

    だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。

    人の子は天使たちを遣(つか)わし、つまずきとなるものすべてと、不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。

    彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

    参考元 : マタイによる福音書:第13章

    上記は、キリスト教の教えに背く悪者を、毒麦に例えて、「悪い者も、今は一緒に、善人に混じって生活しているが、最終的には神の審判によって、地獄の業火に落ちていくんだよ。。」

    といった、意味になるでしょう。

    これは、ストーリー的に、槙島聖護がこの後、自分自身の身に「死」が訪れる事を、暗に示唆しているものと思われます。

  21. 【22話(最終回):狡噛慎也:マルセル・プルースト:『失われた時を求めて』】

    こちらは最終回、ラストシーンで、狡噛慎也が読んでいた本です。

    「マルセル・プルースト(1871年7月10日 – 1922年11月18日)」・・・フランスの有名作家で、『失われた時を求めて』が代表作。

    20世紀の西洋を代表する作家の一人と見なされているようです。

    参考元 : ウィキペディア:「マルセル・プルースト」

    また、狡噛が読んでいた本は、『失われた時を求めて』

    こちらは長編小説で、1913年 ~ 1927年まで、10年以上もかかって刊行された小説になります。

    プルースト自身の分身である語り手の精神史に重ね合わせながら、第一次世界大戦前後に繁栄した都市:「ベル・エポック(フランス・パリ)」の世相をパノラマ的に描いた大作であり、複雑かつ重層的な叙述(じょじゅつ)と物語構成は、その後の文学の流れに決定的な影響を与えた。

    プルーストが半生をかけて執筆した大作であり、その長さは、日本語訳で約400字詰め原稿が「一万枚」にも及ぶ。

    参考元 : ウィキペディア:『失われた時を求めて』

    また、後に映画化やTVドラマ化もされており・・・

    【映画】

    ・『見出された時 ~「失われた時を求めて」より~』 : 1998年。監督:ラウル・ルイス
    ・『囚われの女』 : 2000年。監督:シャンタル・アケルマン
    ・『囚われの女』 : 2015年。監督:クシシュトフ・ガルバチェフス

    【TVドラマ】

    ・『失われた時を求めて(全2話)』 : 2011年。監督・脚本:ニナ・コンパネーズ

    和訳版のオススメは、以下になります。

    → 失われた時を求めて(1) -スワン家のほうへ- (岩波文庫)

    ※全14巻です。

以上。。

PSYCHO-PASS(サイコパス)で引用されている本や哲学者まとめ : 「全21選」でした。

※以下は、上記では掲載されてない、さらにさらに詳細にまとまった記事です。興味のある方はぜひ。

最後に・・・槙島 聖護(まきしま しょうご)や狡噛慎也(こうがみ しんや)等の名セリフまとめ ~PSYCHO-PASS(サイコパス)の名言集~

サイコパスの槙島聖護(まきしましょうご)や狡噛慎也(こうがみしんや)等のセリフ・名言集まとめ

上記の章でも記載してる通り、槙島 聖護を中心に、狡噛慎也や常守朱。そして「シビュラシステム」等、それぞれがそれぞれの立場に立ったセリフには、

実在した思想家の名言が引用されていたり、非常に示唆に富み、哲学的で考えさせられるモノが多いです。

ということで最後に、各主要キャラクターが残した、哲学的で深いセリフ集(名言集)を、以下にまとめてみました。

→ PSYCHO-PASS(サイコパス)のセリフ・名言集まとめ!槙島聖護や狡噛慎也・常守朱・ドミネーター・シビュラシステム等

サイコパス・ファンは、ぜひ見てみてください。

では。。じゃーねー。

サイコパスの槙島聖護などが、おすすめしている書籍・小説・本をまとめた後-2

(いやー、疲れた。。(哲学者や小説をまとめるの))

(想像以上に、引用している「人」や「書籍」が多かった。。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です