少年A:酒鬼薔薇聖斗の神戸連続児童殺傷事件とは?事件の詳細と、その後のサカキバラ。そして被害者の今をまとめてみた。

少年A:酒鬼薔薇聖斗の神戸連続児童殺傷事件の詳細について調べる男性-1

どーもー、先日、元少年A:「酒鬼薔薇 聖斗(さかきばら せいと)」が出した手記:『絶歌』を読んで、涙を流してしまった「ゆとり」でーす。

皆さんは、ご存じですか・・

「神戸連続児童殺傷事件」の犯人であり、当時14歳(中学生)で犯行に及んだ、元少年A:「酒鬼薔薇 聖斗(さかきばら せいと)」という存在を。

1997年、兵庫県神戸市須磨(すま)区で発生した連続殺傷事件で、被害者は全員小学生。

この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負う被害となり、さらに、被害者の一人の頭部が「犯行声明文」とともに中学校(少年A が通っていた学校)の正門前に置かれていて・・

その犯行に及んだのが、当時わずか14歳の中学生ということで、非常にセンセーショナルな重大事件として、世間を騒がせました。

この事件で、犯人の中学生は、マスコミやメディアから「少年A」と呼ばれ、少年A が書いたとされる「犯行声明文」に、「酒鬼薔薇 聖斗(さかきばら せいと)」と、自ら名乗っていたことから、「酒鬼薔薇事件」とも呼ばれるようになりました。



あれから、18年(2015年)

当時、少年A として、凶悪かつ残虐で社会に衝撃を与えた事件を起こした彼は、自身の半生を綴った「手記」を出版しました。

【絶歌】
神戸連続児童殺傷事件の犯人:少年A「酒鬼薔薇聖斗」の手記:「絶歌」-1

この事がキッカケとなり、マスコミやマスメディアは、もう一度、彼にスポットを当てました。

そして、僕がこの事件を知ったのも、「酒鬼薔薇」という存在を知ったのも、最近のこの報道がキッカケです。

各TV局や新聞社・週刊誌は、今一度、当時の事件概要を報道していき、それを見た僕は、元少年A という人物に、どんどんと興味を引かれていきました。

「14歳という若さで、人や猫をバラバラに解体していく非人道的な少年は、どのような環境のもと育ってきて、どのような価値観をもっていたのか・・」

「少年が、抱えていた「闇(病み)」は、いったいどれほどのモノだったのだろうか・・」

「事件から18年たった今、彼は、”ナニ”を背負って、どのような思いを抱いて、生活しているのだろうか・・」

ということで今回は、少年A(酒鬼薔薇聖斗) が出した本や、ネット上の情報をもとに、当時の事件の詳細や、事件後の彼の動向について、順にまとめてみました。

元少年A「酒鬼薔薇 聖斗(サカキバラ セイト)」の神戸連続児童殺傷事件の詳細をまとめてみた ~時系列順~

「酒鬼薔薇事件」といえば、被害者の頭部が、学校の校門前に置かれていた。。といった事件が、ピックアップされがちですが、

実際はソレだけじゃなく、最初の事件から逮捕に至るまで、4ヶ月以上に渡った「連続児童殺傷事件」なのです。

ということで、一連の事件を、時系列順に以下にまとめてみました。

【序章】:神戸連続児童殺傷事件への予兆 ~酒鬼薔薇 聖斗(さかきばら せいと)の誕生前~

後に、「酒鬼薔薇 聖斗」と名乗り、小学生の男女5人を襲い、2人を「死」に至らせる少年A ですが、

実は、彼が中学2年生となって「バラバラ殺人」の犯行に及ぶまでに、様々な兆候(異常な行動)があった事が判明しています。

時は、彼が小学校5年生の時まで遡(さかのぼ)ります。

  • 小学校5年生 : ナメクジやカエルの解体

    ナメクジの体を、待ち針で机に張りつけにした上で、包丁で腹部を裂いたり、カエルを同じように解剖する。といったことを始める。

    当時の事を、少年A は、「切ったり・割いたり、内臓を見るのが楽しかった。ナメクジやカエルは、計10匹ぐらい解剖した。そしてこの時、身体の疼きを感じ、後にそれが、”性衝動の始まり” とわかった。」

    さらに、小学5年生でありながら、ヒトラー(ドイツの有名な独裁者)の「我が闘争」を読み、ヒトラーが情け容赦無く自分の道を進んだことに心酔し、「この世は、劣る者は死に、優秀な者は支配する。」という争いの世界である。と認識した。

    一方、学校の方では、明るい印象を与えていて、友人も多く、よく6人ぐらいで「タンク山(後に殺害・解体現場となる山)」に行って、基地を作って遊んでいた。

  • 小学校6年生 : カエルから、ネコの解剖にエスカレートしていく・・

    この頃には、カエルを解剖することに飽きた少年A は、ネコを殺し始める。

    ネコの首を締め、口から脳へナイフを突き刺し、腹を割いて腸を引き出し、首を切り、脚を切る等した。

    さらに、灯油をかけて焼死させたこともあったという。

    また、ネコを虐待しているときに、性的興奮を覚え、初めての射精を経験する。この時、性衝動と動物殺しとの関係を自覚する。

    この時期に殺したネコは20匹に及ぶが、親にバレることは一切無かった。

  • 中学1年生 : ついに、人間に興味が移っていく。

    事件から、約1年前のことである。

    この時期には、「ネコ殺し」では物足りなくなり、「人間はどのようにすれば死ぬのか」・「人間を殺せばどんな気持ちになるのだろう」ということに関心が向かい、

    学校の授業中でさえ、勝手に、頭の中に白昼夢として、殺人の場面が生々しく連想してくるようになる。

    さらに、少年A は、人の殺し方等を知る為、ホラービデオや、過去に起きた猟奇的殺人事件を調べるようになった。

    また、この頃には、学校でも問題行動や暴力的行動(以下)が目立ち、母親は少年A を精神病院へ連れて行く。

    ・他の生徒の靴を隠して燃やす
    ・ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く
    ・カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切る。。等々

    そして診断の結果、「発達障害の一種の注意欠陥(多動)症」と診断される。

  • 中学2年生 : 神戸連続児童殺傷事件へ

    事件前、少年A は、学校には通ってはいたものの、学習意欲は失せ、友達とも付き合わずに、タンク山に1人で行くようになり、自宅の部屋では1人で昼間からカーテンを閉め、殺人妄想に苛まれていた。

このように、酒鬼薔薇 聖斗には、犯行に及んでしまう日の「3年」以上も前から、幾つかの兆候や機会があった。

そして・・・

1997/2/10 第一の事件が起こってしまう。

【第一の事件と第二の事件】:小学生の女児3人が重軽傷。。そして1人が死亡。

元少年A が、初めて「人間」をターゲットにして、犯行に及んだ事件になります。

  • 【第一の事件(1997/2/10)】

    神戸市須磨区の路上で、小学生の女児2人をショックレス・ハンマーで殴りかかり、1人が重傷を負う。

  • 【第二の事件(1997/3/16)】

    第一の事件から、約1ヶ月後・・

    神戸市須磨区にある「竜が台の公園」で、近くにいた小学4年生の女児に手を洗える場所はないかとたずね、学校に案内させた後、

    「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」といい、振り返った女児をハンマーで殴りつけ逃走。

    女児は病院に運ばれたが、脳挫傷で死亡。。

    さらに同日、

    別の小学3年生の女児の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺して、2週間の怪我を負わせる。

    ナイフの刃先は胃を貫通して、背中の静脈の一歩手前で止まっていた。。(静脈まで貫通していたら、死んでいたとの事)

【第三の事件】:小学生の男児バラバラ殺人。。そして、学校の正門に「頭部」と「犯行声明文」 ~酒鬼薔薇聖斗の誕生!

この「第三の事件」が、いわゆる「酒鬼薔薇事件」で最も有名な、”小学生男児バラバラ殺人”になります。

1997/5/24・・・神戸市須磨区にある通称:「タンク山」と呼ばれている近所の高台。

ここが殺害現場であり、死体を解体した場所でもある。

この日、少年A は偶然、道端で出会った小学5年生の男児に対して、「向こうの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう」とタンク山に誘い出す。

※この小学5年生の男児は、少年A の一番下の弟(3男)の同級生の友人であり、少年A とも顔見知りで仲が良かったそう。

そして、山頂の手前にある「ケーブルテレビ・アンテナ施設」の入り口付近まで連れて行き、その場で絞殺する。

さらに殺害後、この施設内に、遺体を隠す。

当時、少年A が男児を絞殺した時の状況については、以下のように記載がある。

背後から、男児をうつ伏せに倒し、少年自身も男児に覆い被さって首を絞め続けた。

それでも男児は死ななかったため、首を締め付けたまま、さらに男児の腰付近に馬乗りになり、男児の首を絞めている腕を男児がエビ反りになるような感じで持ち上げ、締め付けた。

それでも男児はなかなか死なず、腕が疲れ、今度は男児を仰向けにし、男児の腹の上に馬乗りになって、両手で男児の首を力任せに締め付けた。それでも男児は死ななかった。

殺そうとするが死なない男児に対し、少年は腹を立て、男児の顔や頭を踵で蹴ったり顔を殴ったりしている。最後は、仰向けになった男児の腹部に馬乗りになりながら、しばらく首を締め続けたところで呼吸音が止まった。

この時の状況について、少年A は、以下のように供述したそうです。

「確かに僕は、3月16日に、2人の女の子をハンマーで殴ったり・ナイフで刺したりしたし、後日、僕がハンマーで殴った女の子は死んだということを知りました。

けど、この時は一瞬のことであり、大した満足感は感じませんでした。しかし、●君の場合は、殺すのに時間がかかったので、それだけ満足感が得られたのです。」

さらに、この後、少年A は何事も無かったかのように、友人と遊びの約束していた場所に向かって、夕方になるまで遊んでいたそうです。

そして、その夜・・・

酒鬼薔薇聖斗は、以下のように考えたと言います。

「金ノコギリで人間の首を切ってみたいという衝動に駆られた。具体的には、人間の身体を支配しているのは頭だから、その司令塔の頭を胴体から切り離してみたい。

その時に手に伝わってくる感覚や、切った後の切り口を見てみたいと思った。それまでに何十匹もの猫を殺し、首を切り落としてきたが、猫だとナイフ1本で簡単に切れるし、もっと大きなもの、しかも自分と同じ種族の人間を切ってみたいと思った。」

そして、次の日・・・

この考えは、実際に実行されることになります。

少年A は、昨日、男児の遺体を隠した場所(タンク山のケーブルテレビ・アンテナ施設)に再び行って、金ノコギリで死体の解体を始めていきます。

その時の状況については、以下のように供述しています。

「首を切っていく内に、段々と「頭」の安定が悪くなったため、男児の首の皮が1枚になった時に左手で髪をつかんで上に引っ張り上げ、首の皮を伸ばして一気に首の皮を切った。

その後、しばらく地面に置き、正面から鑑賞しながら、「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」という満足感に浸りながら、射精した。

さらに死体から「魂」を取り出すため、ナイフで男児の両目を突き刺し、さらに、2・3回ずつ両方の瞼を切り裂き、

口の方からそれぞれ両耳に向け、切り裂いた。さらに、ビニール袋に溜まった男児の血を飲んだ。

男児の血を飲むことで、僕(少年A)の血は汚れているので、その汚れた血が清められると思った。」

また、取調官は、少年に以下の質問をした際・・・

「男児の死体の目や顔を見ながら、その首を切るのに抵抗はなかったのか?」

コレに対して、少年は、

「別にありませんでした。僕が殺した死体であり、いわば僕の作品だったからです」と答えた。

(男児の死体の目は見開いていた。)

その後、死体の解体作業を終えた「酒鬼薔薇聖斗」は、いつものように自宅に帰り、その日はすぐに眠りにつく。

そして、次の日。

少年A は、再度、解体現場(タンク山)に行って、男児の頭部だけを持ち出し、自宅に持ち帰ります。

帰宅後、誰もいない自宅に帰った少年A は、土や木の葉で汚れた頭部を風呂場でタライに入れて洗い流し、自分の部屋の天井裏に隠します。

※この時、風呂場にて首を洗っってる時も興奮して勃起し、射精したと供述している。

そして、その夜。

天井裏に隠した「頭部」をどうするのか・・・その事について、考えていた少年A は、以下のような「案」を思いついたと言います。

自分から男児の首をあえて晒すこと。

自分が通っている「神戸市立・友が丘中学校」が、警察にとってはいちばん盲点になるのではないかと思った。
まさか、その中学校に通う生徒が自分が通う学校に、首を置くはずがないと思うだろうと。

さらに、捜査をかく乱する方法はないかと考え、男児の口が裂けて開いているので、そこに「犯行声明文」を入れようと考えた。

そして、家族が寝静まった深夜に、少年A は自宅を出て、自身の通う中学校に向かいます。

そして、中学校の正門の中央付近に「頭部」を道路側に向けて置き、口の中には、以下の犯行声明文が・・

さぁ、ゲームの始まりです

愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ

ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が、見たくて見たくてしょうがない

汚い野菜共には、死の制裁を
積年の大怨に、流血の裁きを

SHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇

コレをキッカケにして、この事件は、すぐさま、マスコミやマスメディアによって全国に知れ渡り、少年A も当日のテレビで男児の頭部が発見されたことを知ったと言います。

この日から、犯行声明文に記載された『酒鬼薔薇』というネーミングは、連日マスコミによって報道され、各TV曲や新聞社・著名人によって、様々な憶測が飛び交うことになります。

※当初の捜査段階では、犯人像は、30~40代の男性の犯行と言われていて、マスコミもそのように報道していたため、それ故に、後に「中学生」と判明したときには、世間を驚愕させました。

その後・・

頭部が見つかってから、1週間ほどが経った「1997/6/4」

神戸新聞社宛てに、第二の犯行声明文が届きます。

【犯行声明文の一部抜粋】

ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも、実在の人間として認めて頂きたいのである。

それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。

今となっても、何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。

持って生まれた自然の性(さが)としか言いようがないのである。

殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。

ボクはこのゲームに命をかけている。
捕まればおそらく吊るされるであろう。

だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。

今後一度でもボクの名を読み違えたり、また、しらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。

全文 : ウィキペディア「神戸連続児童殺傷事件」:神戸新聞社宛ての手紙

犯行声明文の内容は、これまでの報道において「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだ事に強く抗議し、再び間違えた場合は報復する。。としたもので、

自身を「透明なボク」と表現し、自分の存在を世間にアピールする為に殺人を犯した。と記載されている。

ちなみに、この犯行声明文が、のちに逮捕に至る、大きな証拠となってしまう。

捜査関係者いわく・・

「少年A が浮上してから、彼の作文などを調べたところ、すぐに同一人物のモノだと分かったよ。特に『懲役13年』という作文は大いに参考になった。」 との事。

※『懲役13年』

全文 : 酒鬼薔薇事件 : ―懲役13年―全文

(この作文のタイトルでにある「13年」とは、少年が生きてきた期間であり、それが懲役のようなものであったとの趣旨である。
文中に書かれている「魔物」を具体的に人格で表したものが、酒鬼薔薇聖斗であると思われる。)

そして、頭部が見つかってから、約1ヶ月後の「1997/6/28」・・・

少年A の自宅に警察官が訪れ、署までの任意同行を求め、少年はあっさりと同行に応じます。

そして、取り調べが始まり、最初は犯行を否認していたが、上述している作文:「懲役13年」と「犯行声明文」を取り出して、

「これが君の書いたものである事は、はっきりしている。筆跡が一致したんや!」と突きつけると、少年は声を上げて号泣し、自らの犯行を自白したといいます。

※実際には、少年の筆跡が一致したという証拠は無く、この警察官の取り調べ方法が問題だとして、後に裁判にまで発展している。

そして、この日の「19:05」

殺人、及び死体遺棄の容疑で逮捕に至る。(その後、すぐに「通り魔事件」に関しても犯行を認める)

参考元:

ウィキペディア:神戸連続児童殺傷事件

「少年A 神戸連続児童殺傷 家裁審判決定(判決)」全文

酒鬼薔薇 聖斗(さかきばら せいと)のその後・・・神戸連続児童殺傷事件後の少年A の動向

1997/6/28・・・少年A の自白によって、殺人、及び死体遺棄の容疑で逮捕に至ってから・・

あれから、約19年が経った現在(2016)、酒鬼薔薇 聖斗は、その後どのような人生を辿ったのか・・どのような生活を送ってきたのか・・

彼が逮捕された あの日から、現在までの動向について、時系列にまとめてみました。

  • 【1997/6/28 : 少年A の自白によって、殺人、及び死体遺棄の容疑で逮捕】

  • 【6/29 : 神戸地検に送致され、拘置所で30日間を過ごす。(男児殺害・死体遺棄容疑 + 通り魔殺害事件容疑)】

  • 【7/25 : 神戸家庭裁判所に送致され、神戸少年鑑別所にて3ヶ月近く過ごす。】

    神戸家庭裁判所によって、酒鬼薔薇 聖斗の審判がおこなわれる際、彼の精神鑑定を長期にわたって行われました。

    その鑑定結果が、以下になります。

    ・脳のX線検査、脳波検査、CT や MRI による脳の断層検査、染色体の検査、ホルモン検査に異常は無い。

    ・非行時・鑑定時とも精神疾患ではなく、意識は清明であり、年齢相応の知的能力がある。

    ・非行時・鑑定時とも離人(りじん)症状と解離傾性(かいりけいせい:意識と行動が一致しない状態)があるが、犯行時も鑑定時も解離性同一性障害ではなく、解離された人格による犯行ではない。

    ・未分化(みぶんか)な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固なサディズムがこの事件の重要な原因である。

    ・直観像素質(瞬間的に見た映像をいつまでも明瞭に記憶できる)者であり、その素質はこの事件の原因の一つである。

    ・自己の価値を肯定する感情が低く、他者に対する共感能力が乏しく、その合理化・知性化としての虚無観や独善的な考え方がこの事件の原因の一つである。

    ・この事件は長期的に継続された多様で漸増的(ぜんぞうてき)に重症化する非行の最終的到達点である。

    また、以下のようにも説明しています。

    標準的な人は、性的な発育が始まる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、少年は性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されず、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。

    性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、性欲を発散する対象として想像しながらオナニーをして性欲を発散し、性的な経験を積み重ねながら肉体的・精神的な成長をして行くのだが、

    少年は動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じて性器が勃起し射精した。

    少年はその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては「快楽殺人」である。

    以上の事から、少年には、完全な責任能力がある。とされるが、「反社会性パーソナリティ障害」に相当する行為障害があるとされ、その行為障害の原因を除去して、少年の性格を矯正し、更生させるためには、長期間の医療的処置が必要とされ、「医療少年院」への送致が最も適切な処遇と審判された。

  • 【1997/10/13 : 神戸家裁は「医療少年院送致」を決定。関東医療少年院に送致される。】

    関東医療少年院での、酒鬼薔薇 聖斗の生活は、基本的に精神的治療は順調に進んでいき、「更生」に一歩一歩進んでいくのだが、以下のような問題行動もあったという。

    ・少年院の工作の授業で、新聞広告のチラシを切り抜いて画用紙に貼り付け、コラージュを制作した際、少年は乳児の写真を、目や耳・手足など部位別に一つ一つハサミで細かく切り刻んで、それを画用紙にバラバラに貼った作品を作って、「精神と肉体の融合」の題を付けて発表する。

    ・少年A 自身が、少年院に居た仲間に、”いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、治らないんだよ。僕は性格が異常なんだから。。。” と発言する。

  • 【2001/11/27 : 治療が順調であるとの判断から、東北少年院(中等少年院)に移る。】

    少年A は、東北少年院に移ると、イジメの対象となってしまう。。

    2002年の初夏・・・イジメが過激になり、突然、半裸状態で意味不明の奇声を発し、職業訓練で使うカッターナイフを振り回し、周りを威嚇し始める。

    教官らが駆けつけ、他の院生を連れ出して少年への説得を始めたが、カッターナイフで自分の性器を切り付けたという。

    その後、少年は直ちに個室に軟禁されて、事情聴取を受けたが、なかなか興奮が冷めず危険なうえ、動揺が激しく何を言っているのか分からなかったため、最終的に「奇行」と断定される。

    この奇行が原因となって、刑期が予定よりも伸びてしまう。

  • 【2004/3/10 : 少年院を仮出所し、保護観察官に見守られながら社会に戻る(少年が、21歳の時)】

    仮出所後は、まず更生保護施設に入りながら、派遣での仕事をやっていく。

    その後、保護観察所の監察官に見守られながら、篤志家:Yさんの家に住みながら、工場などで仕事を始めていく。

    この時、親元に帰る。という選択肢もあったが、少年自らがコレを断っている。

  • 【2005/1 : 保護観察期間の終了。正式に「出所」となり、社会に出る】

    保護観察期間が終了してのち、少年A は一人暮らしを始める。

    当初は、保護観察期間が終了したあとも、篤志家の人達や、保護観察官の人達に、定期的に自らの生活について報告していたりと、お世話になっていたのだが・・

    仕事で、100万円近くのお金を貯めた後、それらの関係の一切を断ち切るために、住んでいた住居を解約し、仕事も辞め、カプセルホテルでの生活を送っていく。

    それは、過去の自分を知る存在、全てとの関係を断ち切って、完全に新たな自分として生きていくためだった。

    この時には、毎日図書館に行って、開館~閉館までの時間、ずっと本を読んでいたそう。(少年院時代も読書に明け暮れている)

    だが、このような生活も長くは続かず、金が底をついた段階で、派遣労働や日雇い労働を始めていく。

    派遣労働では、かなり劣悪な労働環境で、一緒に働いている人達も問題のある人ばかりだったので、この頃は、かなり荒(すさ)んだ生活を送っていた。

    そのためか、「なんのために、生きているのか・・」・「この社会に、自分の居場所なんてどこにも無い。。」・「この先も、ずっと過去の自分を・・自分の罪を隠し続けていかなければならない」・「自分の事を全てさらけ出せる人なんて、この世に居ない」といった具合に、悩み続けていく事になる。

    だが、、

    事件から19年のあいだ、酒鬼薔薇 聖斗は一度も再犯を犯していない。

    さらに毎年、被害者の命日には、必ず被害者遺族への謝罪の手紙を送り続けている。

  • 【2015/6/10 : 元少年A:「酒鬼薔薇 聖斗」が、自身の手記を出版する】

    事件から18年・・・

    32歳となった、酒鬼薔薇 聖斗は、自身の初となる手記を出版する。

    タイトル:「絶歌」(太田出版から刊行する)

    神戸連続児童殺傷事件の犯人:少年A「酒鬼薔薇聖斗」の手記:「絶歌」-1

    この本は当初、被害者遺族達から出版停止を求められていたが、それとは裏腹に、世間では大反響に。

    本は続々と売れていき、第2刷・第3刷と増刷されていき、結果:25万部の大ベストセラーに。

    当然、僕もこの本はチェックしたが、内容的には2部構成となっており、

    1部 : 少年A が、事件を起こすまでの話。幼少期から、家庭で話。学校での話。事件に至るまでの兆候。。そして、事件当時の詳細。

    2部 : 事件を起こしてから、この手記を出版するまでの話。取り調べ、少年院での出来事。仮出所後・保護観察期間の話。そして、その後の社会人生活。

    これら、2部構成の内容となっており、目を背けたくなるような残虐で非人道的なシーンがあるかと思えば、思わず泣いてしまうような、人の温かみや深い愛情が描かれているシーンがあり、僕自身、号泣してしまった所がいくつかあった。

    感想など、詳しくは別記事(以下)にまとめているので、ぜひ興味のある方は見てみてほしい。

    → 元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の本「絶歌」やホームページ(ブログや絵)の内容や感想 ~神戸事件の真相や結婚疑惑(ネタバレ注意)

    また、酒鬼薔薇 聖斗は、手記を出版したことに続いて、公式ホームページをリリースする。

    → 元少年A 公式ホームページ:「存在の耐えられない透明さ」

    (このホームページ名は、フランスの小説家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』をモジッたようである)

    この公式HP では、元少年A のプロフィールや、ブログ・ギャラリー(少年A が描いたとされる絵画の一覧)が公開されていて、

    ブログでは、彼が読んだ小説や映画の紹介や感想であったり、美術館に行ったときの話。また、読者の悩みに応える「Q & A」の記事も掲載されていた。

    そして、ギャラリーには、彼が小学生高学年の頃に解体したとされる、ナメクジやイモムシ、胎内にいる赤ちゃん等が描かれている。

    前にこのギャラリーを見た時は、本物のナメクジを大量(100匹以上)に集めて、ハート型の容器に入れている実写画像があったが、現在は非公開になってる模様。。(おそらく、気持ち悪く不快であると、多くの苦情が来たのだろう。)

    そして、

    2015/10/12 には、有料のメールマガジン(ブロマガ)の配信を開始する。(月額800円、隔週月曜日配信)

    タイトル : 『元少年Aの ”Q & A”』

    説明 : 「元少年Aと、よりディープに、魂の触角と触角が絡み合うようなやり取りができるよう、新たに別な場所を設けました」

    だがこのメルマガサービスは、同月15日には、運営(FC2)によって凍結されている。

    ※配信元のFC2は、「規約上の違反、及び多数のユーザーに迷惑をかける行為」として、凍結の原因を説明している

    これら、酒鬼薔薇 聖斗の一連の表現活動は、被害者遺族を中心に多大な批判を生み、世間に大きな反響を巻き起こしたが、彼自身は、手記:「絶歌」にて、以下のように述べている。

    被害者のご家族の皆様へ。

    2004/3/10、少年院を仮退院してからこれまでの11年間、僕は必死になって地べたを這いずり、のたうち回りながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を探し求め続けてきました。

    人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました。

    ギリギリのところで、いつも周囲の人達に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにも何とか社会生活を送り続けることができました。しかし、申し訳ありません。

    もう、この本を書く以外に、この社会の中で罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。
    許されないと思います。理由になどなってないと思います。本当にもうしわけありません。

参考元 : ウィキペディア:神戸連続児童殺傷事件

「神戸連続児童殺傷事件」の被害者や被害者家族。。そして加害者家族のその後・・・

2名が死亡し、3名が重軽傷を負った「神戸連続児童殺傷事件」

あの事件以降、被害者や被害者家族達は、どのような思いで、どのように生きてきたのか・・

そして、元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の、家族は?親は?兄弟は?(少年A には、二人の弟がいる。)

当章では、それぞれの「その後」について、まとめてみました。

  • 土師 淳(はせ じゅん)君と、その両親

    タンク山にて殺害、頭部を切断され、学校の正門前に置かれた事件の被害者が、「土師 淳」君です。(当時11歳)

    淳君は、知的発達障害があり、ジグソーパズルの様な視覚を活用するものは得意だったが、言語を通してのコミュニケーションが苦手であった。

    もともと、少年A の弟である三男と、淳君は同級生の友達で、少年A 自身も、よく一緒に遊んだりしていた。

    あるとき、まだ酒鬼薔薇聖斗が小学6年生の時、淳君に対して暴行をはたらいた事があり、頭にはタンコブができるほどのケガをさせてしまった事があったが、

    次の日、酒鬼薔薇が謝りに行ったときは、淳君は笑顔で迎えてくれたという。

    少年A は、当時の事を振り返って、以下のように語っている。

    一緒にいるだけで、気持ちが癒され和ませてくれる存在だった。小学校5年生の時に、祖母が亡くなり虚無感に苛まれてたとき、そんな時に、自分にとって支えになってくれていて、大好きな存在だった。

    少年A にとって、淳君は「特別な存在」だったのだ。

    だが、あれから事件は起きてしまう。。

    なぜ、酒鬼薔薇は、大好きな淳君を殺めてしまったのか・・

    酒鬼薔薇は、「たまたま、前方から淳君が歩いてきていて、淳君なら顔見知りだから一緒にタンク山まで付いてきてくれると思った。」と、供述している。

    5月24日のあの日・・・淳君の家はいつもと変わらない雰囲気だったといいます。

    「おじいちゃんとこ行ってくるわ」といつものように笑顔で言い、淳君は家を出ていった。これが、家族が最後に見た、淳君の姿でした。

    その夜から、息子が帰ってきてない。。ということで、淳君の父親は必死に捜索をしていきます。

    そして、行方がわからなくなった3日後・・・中学校の校門で首を切られた淳君の頭部が見つかりました。

    それから、マスコミやマスメディアによって、連日、事件の報道がおこなわれ、警察によって加害者が「14歳の少年」と発表された時には、多くの取材陣が、当時住んでいた自宅に駆けつけて来たといいます。

    当時の状況を、父親は、

    「ずっと、家のカーテンを閉め切ったままの状況が、7月半ばくらいまで続きました。」

    「なぜ被害者がここまでされなければいけないのか。。。本当に異常な状態だったと思います。・」

    (結局、淳君の家族は、この事件から4年後に自宅を引っ越しています。)

    その後、事件は家庭裁判所での非公開の審判に移されます。

    この時、父親は審判に出席して意見を述べたいと要望したが、当然聞き入れてもらえず。。。

    結局、当時の少年法では16歳未満は刑事処分とはなることはないため、少年犯罪史上もっとも凶悪な事件を起こした少年A も保護観察処分となり、医療少年院に送られていきます。

    この後、父親は「全国犯罪被害者の会(あすの会)」に入り、その活動などを通じて、少年犯罪の情報開示などを求めていきます。

    これによって、当時としては極めて異例の、少年院での更生状況が伝えられ、裁判に使われた精神鑑定書も開示された。

    (通常であれば、少年法によって、このような情報を被害者 or 外部に公開することは無い。。)

    さらに、淳君の父親や「全国犯罪被害者の会」の働きかけの効果もあり、

    2000年には、立法府が「少年法」そのものの改正に突き進む。

    少年法は戦後長く、その根幹を維持してきたが、2000年の改正では「14歳」でも刑事裁判にかけることを可能にした(改正前は16歳)

    さらに、淳君の両親は、1998年8月26日・・・少年A およびその両親に対して総額1億4000万円の支払いを求める民事訴訟を起こします。

    訴訟に先駆け、弁護人らによって、少年A の両親の資産状況が調査されたが、住んでいた家屋も借家で支払能力なし。との判断であり、また訴訟に対して、少年A の両親は事実関係をすべて認めるとしていたため、争点にならない状況であった。

    途中、和解勧告が出されたものの成立せず、1999年3月11日に全額の支払いを命ずる判決が出る。

    そして、事件から5年経った「2002年」・・・淳君の父親は、「淳-Jun」というタイトルの手記を出版します。

    息子の成長、あの忌まわしい事件の渦中の出来事、そして「少年法」改正に至る闘いまでが、詳細に描かれているようです。

    → Amazon:「淳 (新潮文庫)」

    参考元 : 神戸連続児童殺傷事件の被害者家族インタビュー

  • 山下彩花(あやか)ちゃんと、その母親

    酒鬼薔薇が起こした「神戸連続児童殺傷事件」。この第二の事件で殺害されたのが、山下彩花(あやか)ちゃんです。

    1997/3/16・・・神戸市須磨区にある「竜が台の公園」で、少年A に「手を洗える場所はないか?」と、尋ねられた、当時小学4年生の彩花ちゃんは学校に案内するが、

    「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」と言われ、振り返ると、突然ハンマーで頭を殴りつけられ病院に搬送。脳挫傷で死亡しました。

    通り魔的犯行で、人間で自分よりも弱いと思える存在であれば、誰でも良かったようです。

    この事件後、彩花ちゃんのママ(京子さん)は、”夫や、ほかに子どもがいなければ、彩花のところに行って楽になりたい” と言っていました。

    その後、彩花ちゃんを忍ぶ「彩花桜(あやかざくら)」が、竜が台小学校の校門前に、地域の人の手によって植林されたり、

    その小学校には寄りつけなかった京子さんが、「命の授業」などで講演活動をするようになります。

    そして、事件から5年後の2002年。

    絶望の底から希望を見いだし、生き抜こうと決意した彩花ちゃんの母親が、娘の死を無駄にしないために命の尊さと輝きを伝えるべく、本を出版しました。

    → Amazon : 彩花へ 「生きる力」をありがとう(河出文庫)

  • 酒鬼薔薇 聖斗に刺され、命を落としかけた被害者女性

    山下彩花(あやか)ちゃんが襲われた同日、

    当時小学3年生だった彼女は、少年A に腹部を刃渡り13センチの小刀で刺され、病院に搬送される。

    ナイフの刃先は胃を貫通して、背中の静脈の一歩手前までいき、生死をさまよった。。(静脈まで貫通していたら、死んでいたとの事)

    あれから、18年(2015年)が経ち、すっかり大人になった彼女は看護師として多忙の毎日を送っているが、未だに、あの日の出来事は鮮明に覚えているという。

    「私が、元少年A に望むことは一つです。二度と罪を犯さないように、ただ黙って静かに生きてほしい。」

以上・・・

「神戸連続児童殺傷事件」が起きたあの日から、いかに被害者や被害者遺族が悩み・苦しみ、それでも、息子や娘の死を無駄にしないように、懸命に闘ってきたかが分かります。

一方で、加害者家族。少年A の家庭は、どのような環境だったのだろうか・・

一般的に、世間を驚愕させるような凶悪犯罪者の犯行に至った根本原因を突き詰めていくと、そこには、幼少期や青春期の家庭環境が問題に上がる傾向にある。

酒鬼薔薇 聖斗も、そうだったのだろうか・・・劣悪な家庭環境の中、虐待やネグレクトといった行為を受けていたのだろうか・・

答えは、「No」である。

一部報道では、母親の教育・しつけが問題視されているが、その内容も、ごく一般的な家庭にありがちの事で、虐待と言われるほどではない。。

少年A は、自身の手記にて、以下のように記述している。

母親の笑顔が大好きで、母親のことを憎んだことなんて一度も無い。だから週刊誌や新聞に母親のことを悪く書かれていたのが許せなかった。

今(書籍を書いてる時)でも母親のことは大好きだし、一日も忘れたことなんて無い。

母親はどのような人物で、どのような教育をおこなっていたのか・・そして、父親の存在は?

さらに、少年A には、齢の近い二人の弟もいる。

その辺の事については、以下の記事にてまとめているので、ぜひ見ておいてください。

→ 神戸連続児童殺傷事件の犯人:元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の本名(東慎一郎?西岡真?)や顔写真、現在の居場所や両親(父・母親)

最後に・・・神戸連続児童殺傷事件の真相。少年A:酒鬼薔薇 聖斗の冤罪説について

ここまで情報をまとめてきて、最後に突拍子も無いことを言ってるようだが、実は、事件当時から、この事件には「裏」が存在しているという説が、飛び交っています。

少年A が加害者たり得ない証拠をまとめた数々のレポートであったり、冤罪説を主張する書籍も、いくつか出版されている程です。

  • 死体切断に用いたとされる、金ノコギリでは、頸部(クビ)を切断することは考えずらい。
  • 実は逮捕前、犯行声明文の筆跡と、少年A の筆跡は「同一人物の筆跡か否か、判断することは困難である」という鑑定がでていた。(だから、逮捕状は出せず、任意同行であった)
  • なぜ多くの警察官や地元住民が捜索をしていたのに(当然タンク山も)、3日間も死体は見つからなかったのか・・

    しかも、そのような状況で、バレる事なくタンク山に行き来し、死体の解体作業なんて可能だったのか

  • 当時、少年A が自白したことで「逮捕」に至ったが、物的証拠は何一つ無かった。。

このように、いくつかの疑惑があり、それを裏付ける証拠もちゃんと提示され、まとめられています。

詳しくは、以下。

→ 元少年A:酒鬼薔薇聖斗は冤罪だった?神戸連続児童殺傷事件の真相や真犯人 ~本当の犯人は・・・国家権力と革マル派の動き

ただ、僕自身は、酒鬼薔薇 聖斗自身が書いた手記の内容(当時の事件の内容や、そこに至るまでの様々な出来事が、鮮明に詳細に描かれている事)であったり、

彼自身が、冤罪であったと一度も主張していないこと(もし冤罪だったとして、そう主張しない理由も不明な事)などから、僕は、彼は「神戸連続児童殺傷事件」の犯人であると思っています。

(ちなみに手記では、冤罪説については触れられていない。。)

以上です。

では、じゃーねー。

少年A:酒鬼薔薇聖斗について調べ終えた、ゆとり君

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