「バレンタインデー」の意味・由来とは?チョコレートやメッセージカードを全くもらえなかった「非モテ男子」が調べてみた

バレンタインデーの意味や由来について調べている男子-1

どーもー、もーすぐ「バレンタインデー」の、2/14 が訪れてくるので、憂鬱になってる「ゆとり」でーす。

ここ2~3年は、母親からすらも音沙汰無しで、もーバレンタインの事とか、チョコの数とか考えないようにしている、26歳の少年ですが、

子供の頃から、2/14 が近くなってくると、憂鬱で憂鬱でたまりませんでした。

きっと、僕と同じような悩みを抱えている、非モテ同士達は、数多くいる事でしょう。

小学校の低学年・中学年の頃は、当日になると、下駄箱や机の引き出しに、こっそりと ”ソレ” が置いてあるんじゃないかと、少しでも希望を持っていたモノですが、

高学年になると、それは絶望に変わっていき、クラスに2~3人はいる、スーパーヒーローへの妬みへと変化していきました。

「あの歴然とした差はいったい何だったのか・・・」

現代の資本主義社会よりも、明確かつ残酷な差別社会を招いた、チョコレート資本主義社会。

いつしか僕は、時代を数百年・数千年さかのぼって、「バレンタインデー」の生みの親である、『バレンチーノ』とかいう、ペペロンチーノみたいな卑猥な名前の男を恨んでいた。

ということで、今回は、このバレンチーノさんが生んだとされる「バレンタインデー」の由来や歴史について、色々とまとめてみた。

「バレンタインデー」の意味・由来とは? 忌まわしきバレンチーノが生み出した、2/14 

バレンタインの歴史をひも解いていくには、今から1700年以上も前の、3世紀頃までさかのぼって行かなければならないようだ。
場所は、古代ローマ。

当時のローマ皇帝であった「クラウディウス2世」は、若者たちが家族や愛する者が居たために、なかなか戦争に出たがらない様に、頭を抱えていたらしい。

そこで、「クラウディウス」は、対策として若者の「結婚」を禁じた。

そこに現れたのが、一人のキリスト教徒である「バレンチーノ」だった。

※「バレンチーノ」という名前はイタリア語で、英語では「バレンタイン」と呼ばれたために、今につながる。

バレンチーノは、そんな若者たちを哀れに思って、隠れて密かに結婚させていたのだが、それを皇帝が知ってしまい、

皇帝がバレンチーノに「ローマ国教(宗教)」への改宗を迫ったが、承諾しなかったため、バレンチーノは投獄され処刑された。

※当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。

そして、その処刑された日が・・・そう、2月14日なわけである。

一方、その頃のローマでは、毎年「2/14」に、未婚の女性たちの名前が書かれた紙を集め、翌日に未婚の男性がその紙を引いて、紙に書かれた名前の女性と付き合う。。といった伝統的な祭りがあった。

その祭りは、何百年と続いていき、「キリスト教」がローマの主要な宗派へと勢力を増していった頃。。

この祭りは風紀が乱れるとして、「キリスト教」の聖人を奉る(たてまつる)行事へと変わっていった。

その際に、2/14 に殉教した聖人:「バレンタイン」を行事の守護聖人と認定されたのである。

その後、近年になっていくにつれて、キリスト教では、恋人達がカード(愛の手紙)や花束などを互いに贈り合う行事へと変貌していった。

参考元 : バレンタインデーの由来(起源)



といった、歴史背景があるようです。

なんだ、バレンチーノはけっこうイイ奴だったんだな。

バレンタインデーに、「メッセージカード」をプレゼントする文化は、やっぱり「バレンチーノ」が原因だった。。

バレンタインデーに、チョコレートを渡す他に、「メッセージカード」という愛の手紙を渡す風習も、特徴の一つだが、これも「バレンチーノ」が発端だったらしい。

曰(いわ)く、こんな言い伝えがあるらしい。

「バレンチーノ」は、処刑される前、獄中でも恐れずに看守たちに、引き続き神の愛を語った。

言い伝えによると、ある看守には、目の不自由な娘がおり、バレンチーノと親しくなりました。

そして、バレンチーノが彼女のために祈りを捧げると、奇跡的に目が見えるようになったのです。

結局、これがきっかけとなり、バレンチーノは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンチーノより」と署名した手紙を彼女に残したそう。

このような言い伝えから、若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を「2/14」に出すようになり、これがしだいに広まっていった。。というわけです。

そして現在では、女性が、好きな男性ににバレンタイン・カードを出すようになったと。

ちなみに欧米では、上述の言い伝えから、

「あなたのバレンタインより(From Your Valentine)」 が、バレンタインカードに記載する決まり文句となって、さらに、

「わたしのバレンタインになって(Be My Valentine)」 と書いたりもするそうです。

バレンタインデーに、女の子が男の子に「チョコレート」をプレゼントするという文化は、実は日本が発祥だった・・

自分も、コレを知った時は衝撃的だったのですが、実は女の子が男の子に「チョコ」を渡すという、悪しき悪しき習慣は日本がスタートだとの事。

(欧米では、恋人や友達間・家族間で、お互いにバレンタイン・カードや花束、お菓子などを贈る文化のようです。)

で・・

この悪しき文化の起源は、どこから始まったのか・・

時は、戦前にまで遡(さかのぼ)り、1936年に「神戸モロゾフ」という洋菓子店が、打ち出した広告がスタートだったようです。

”あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう” というコピーだったよう。

その後、時は流れ、戦後の1958年。

新宿の伊勢丹で「バレンタイン・セール」と称したチョコレートセール・キャンペーンが行われ、

1960年には、森永製菓が、バレンタイン・キャンペーンを新聞等のマスコミを通じて広告を打ち出します。

(各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期からのよう。)

ですが、この時にはまだ、バレンタイン・チョコレートの普及は少なく、広がっていくことはありませんでした。

それから、約10年後・・・

高度経済成長期が終焉した、1970年代・前半頃になると、小売業界がより積極的にマーケティングを行ったことで、チョコレートの売上が急増し、そこから急速に広がっていきます。

この頃には、バレンタインデーにチョコレートを贈るという習慣が、小学校~高校の学生の間に広まり、

さらに、1980年前半には、小売業界やお菓子メーカーの広告によって、「義理チョコ」や「ホワイトデー」なるものまで登場。。一気に普及していきます。

※欧米諸国では、「ホワイトデー」の習慣はありません。

こーして、キリスト教の本来の意味など忘れ去られて、小売業界やお菓子メーカーの陰謀によって、「バレンタイン・チョコ」や「ホワイトデー」といった悪しき日本的イベントが出来上がっていったのだった。。



ちなみに、コレは蛇足だが、遠い遠い「サウジアラビア」という国では、バレンタイン(キリスト教)に因(ちな)んだ行動を起こすと、最悪「死刑」もありうるそうだ。

「サウジアラビア」という国は、イスラム教で、「バレンタイン」はイスラムの教えに反するということで、違法行為となっており、全面禁止されているよう。

参考元 : ウィキペディア:バレンタインデー

最後に・・・今年の 2/14 は、「バレンタイン・粉砕デモ」に参加しようと思う!!

僕が幼少の頃から抱えていた、バレンタインデーの悩み。。その元凶が、実は僕の住んでいた、この「日本」だったとは・・・

この真実に気づいてのち、僕は、僕と同じような悩みを抱えてきた「非モテ集団」が居ることを知ることになる。

そして、時は「2/14」

バレンタインデーの意味・由来を知って、「粉砕デモ」に参加するゆとり君

僕は、その「非モテ集団」が主催する『バレンタインデー・粉砕デモ』に参加するため、開催地となる「渋谷」に来ていた。

この続きは、以下の記事を見てほしい。

→ 非モテ男子の僕が、「バレンタインデー・粉砕デモ in 渋谷」に参加してきた(革命的非モテ同盟・主催) ~非リア充の妬み~

革命的非モテ同盟主催の「バレンタインデー・粉砕デモ in 渋谷」-2

ではまた、じゃーねー。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です