どーもー、先日「君の名は。」を映画館に観に行ってきて、醜く汚い僕の心が浄化されるように号泣してしまった「ゆとり」でーす。
あの日から、僕は新海誠(監督)の作品を一通り全部観てみようと心に決めたわけですが、今回その1つである『星を追う子ども』
2011/5/7:公開
監督・原作・脚本 : 新海誠
その他・・・絵コンテ・演出・色彩設計・撮影監督・編集 : 新海誠
前作の『秒速5センチメートル』から4年ぶりとなる、4作目の新海監督作品。
今回の記事では、この「星を追う子ども」のあらすじ概要や、ジブリ作品との相似点。作中にて参照されている数々の神話
そして、アスナ(主人公)の父親の謎や、シュン・シンとの関係性の謎について、順に書いていこうと思います。
以下、目次
- 「星を追う子ども」のあらすじ・まとめ
- 「星を追う子ども」の考察 ~ジブリ作品を意識し、多くの神話を参照した新海作品
- 作品を観た感想・評価 ~アスナとシュン・シンには血縁関係があった?アスナの父親の謎
- 最後に・・・その他の新海誠監督作品について
「星を追う子ども」のあらすじ・まとめ(ネタバレ注意) ~ストーリーの舞台となった聖地(新海誠の故郷)についても
まずは、作品本編のあらすじについて、以下にまとめてみました。
舞台は、1970年代の大自然あふれる田舎街。周囲には古民家や田畑、山が広がっている。
そんな街に暮らしていた小学生のアスナ(主人公)は、幼い頃に父親を亡くし母と二人で暮らしていた。アスナは小学生ながら仕事で家を空けがちな母に代わって一人家事をしながら、近くの山に自分で作った秘密基地で、父の形見である石を使った鉱石ラジオを聞いたり、猫のような動物:ミミと遊んで日々を過ごしていた。
そんなある日、秘密基地へ向かう途中に見たこともない怪獣に襲われたところを「アガルタ」から来たという少年・シュンに助けられる。
翌日、秘密基地で再会し仲良くなった二人はまた会う約束をするが、後日シュンが遺体で発見されることになる。
シュンの死に悲しみに暮れるアスナは、新任教師の森崎の授業で聞いた「死後の世界」に強い興味を抱く。世界各地には地下世界の伝承が残り、シュンが故郷であると語ったアガルタもその一つで、そこには莫大な富や死者の復活すら可能にする技術があるという。
その日の帰り道、アスナは秘密基地にて、シュンと瓜二つの少年・シンと出会う。彼は兄(シュン)が持ち出したアガルタへの道の鍵となる石「クラヴィス」を回収しに来ていた。
するとそこに武装した兵隊と森崎が現れ襲われる。森崎はアガルタの秘密を狙う組織「アルカンジェリ」の一員だった。
決死の思いで逃げるシンとアスナ、そしてソレを追いかける森崎や兵隊達。シンはアガルタへと逃げ帰ろうとしていたため、それを追っていた森崎達も「アガルタへの入り口」を発見。
だがそこで、森崎は「アルカンジェリ」を裏切り、シンとアスナと共に3人でアガルタの地へと入っていった。
こうして、3人はそれぞれの想いを胸に、伝説の地での旅が始まる。
参考元 : ウィキペディア:星を追う子ども
以上です。
ちなみに、ストーリー本編にてアスナ達が住んでいる大自然あふれる田舎街。
本編中では、「小渕(おぶち)」と言及されているが、ここは長野県長野市の近くにある「小渕」がモデルとなっています。
さらに、新海監督は長野県南佐久郡小海町の出身で、「星を追う子ども」を制作するさいに、長野県佐久市、小海町あたりをロケハンしたそうです。
(機会があったら、聖地巡礼してみたいですね。)
「星を追う子ども」の考察 ~ジブリ作品を意識し、多くの神話(アガルタやヴィマーナ・ケツァルトル等)を参照した新海誠監督
【映画公開の初日舞台あいさつ】
司会進行役:「今作は、今までとは作風が少し違うのかなってイメージがあるのですが、その辺についてこの作品に込めた思いってのを教えていただけますか?」
新海監督:「今まで作ってきた作品は、どちらかと言えば、日常生活を美しく描くことを目的としてきたスタイルの作品だったんですね。
まぁそれはそれで出来る限りのことをやってきたつもりなんですけど、今回はもう少しですねー、単純に難しいことを考えなくても、2時間席に座って映像と音楽と物語に身を浸していれば、それだけで楽しめるものにしたいなって思ったんですね。
色々キッカケはあったんですけど、1つは前作の「秒速5センチメートル」の作品を作った後に、僕は海外にしばらく行ってたんですけど、そこで色んな海外の方に出会う中で、「秒速」のような日本の生活を大前提として、日本での生活様式を分かっていないと、いまいち深いところまでは入り込めないという作品だと、上映中僕自身がちょっと居心地の悪い思いをしてしまって。。
次作るのであれば、もっとシンプルに見てて面白いものを作って色んな人に見てもらいたいなって思ったのが、一番大きなキッカケですね」
僕自身は、まだこの記事を書く段階では、新海監督の過去作品を全て観ているわけでは無いので、作風の変遷等を語ることはできないのですが、
ネット上をちょっと調べただけでも、
「今までの新海作品とは、明らかに特徴・作風が違う!!」といった声が非常に多いです。
- 長々としたモノローグが無くなっている。。
- ファンタジー要素やアクション要素が非常に強くなっている。
- 前作までの作品は、基本的にはGAINAX作品を意識・参照していた。
- 前作までの作品は、「現代の若者達の人間性・社会性」というテーマが入っていた。
- 今回の作品は、ジブリ色が強すぎる!!
実際、新海監督も
「今回は明確にもう少し低い年齢の人にも楽しんでもらえるような作品にしたい!!という気持ちがあって、主人公をアスナという小学生の女の子にしました。」
と語っていて、今作を作る上で参考にしたのが、監督が幼い頃に読んだとされている児童書:『ピラミッド帽子よ、さようなら(乙骨淑子)』だったと語っています。
(もともとは、30代~の男性のファンが多かったらしい。)
また、特にネット上の声で多かったのが、”ジブリ作品に相似している” といった声。
実際、僕が観て抱いた最初の感想も、「むっちゃ、ジブリ色強いじゃん!!」でした。
「星を追う子ども」と、ジブリ作品との相似点:5選
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「地下世界:アガルタと、親からの形見(不思議な力を持つ宝石):クラヴィス」
ラピュタの「天空の城」と、親からの形見である「飛行石」
シータとバズー : アスナとシン
ムスカ : 森崎(秘密組織の一員で「中佐」と呼ばれている。)
このように対比させても、普通にイメージできてしまいます。
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「シュンとシン」
シンが馬?に乗って行動している姿・・・「もののけ姫」のアシタカとヤックルを想起します。
また、シュンの容姿や温和でミステリアスなイメージ・雰囲気は、「ハウルの動く城」のハウルをイメージできます。
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「アスナとミミ」
アスナの肩にミミが乗っている姿とか、まさに「風の谷のナウシカ」のナウシカとテトの関係でしょう。
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「夷族(イゾク)」
闇に棲むイゾク・・・太陽の光に弱く、ゾンビのような容姿で地上人を忌み嫌う呪われた種族と言われている。
これは、もののけ姫に出てくる「猩々(しょうじょう)」という、夜に集団で姿を現し森を奪った人間を憎んでいる生物を想起しました。
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「シャクナ・ヴィマーナ」
森崎の願いを叶える瞬間の、「シャクナ・ヴィマーナ」のこの姿。
非常に不気味で秀逸なこの容姿は、原作版ナウシカのドルク皇弟をイメージしちゃいましたね。
以上です。
ちなみに、新海誠監督本人もジブリ作品との相似点について以下のように言及しています。
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続いて、「星を追う子ども」では、「地底都市:アガルタ」や「空飛ぶ方舟:シャクナ・ヴィマーナ」・「神々:ケツァルトル」など、数多くの神話を参照元とした、概念・キャラクターが登場し、それがより物語の奥深さを高めています。
ということで、神話から取ってきたモノについて、その詳細や神話情報についてまとめてみました。
「星を追う子ども」が参照している、数多くの神話まとめ ~アガルタやヴィマーナ、ケツァルトル等
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【アガルタ(地下都市)】
本編で、伝説の地下都市・地下世界として描かれているアガルタ(別名:シャンバラ)、こちら実は、実際の世界でも神智学や神秘思想では有名な説として、
「世界中・至るところの地下に隠れている都市で、地上人よりも高度な技術・文明をもち、理想的な共同統治が行われている」「実は、地球の内部が空洞になっていて、その空洞に地下世界:アガルタという都市がある」
等といった説がある。
実際に1800年以降(地球空洞説が出てきた当時以降)、世界中の多くの科学者や探検家・神秘主義者などが「アガルタ」を捜し求めた。
結局、現在でも上記のような存在は確認されていないが、「文明科学の発展した理想的社会」・「超能力を持つ超人的生命体が住む世界」として、多くのSF作品や伝記に描かれている。
「星を追う子ども」もその一つ。(本編では、かつて地上人からの侵略を受け、その被害から荒廃の一途を辿っているが、不思議な力を持った生命体も数多くいて、死者を生き返らせるといった伝説もある地下世界として描かれている。)
ちなみに、
新海監督の過去作品(SF):「ほしのこえ」にも、異生命体の故郷として「アガルタ」が登場している。(「シリウス星系第4惑星」と呼ばれている)
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【シャクナ・ヴィマーナ(神々の乗る空飛ぶ方舟)】
こちらも、「星を追う子ども」の本編では、重要な位置づけで登場してくる方舟です。
参照元は、インド神話で、古代インド最古の古典:「リグ・ヴェーダ」や「ラーマーヤナ」などにその名が残されている。
神話上は、「ヴィマーナ」と呼ばれていて、
神々の利用する空飛ぶ宮殿、空飛ぶ戦車、空飛ぶ方舟など、その形状は複数のパターンがあり、大気圏外への航行も可能だとか。
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【アルカンジェリ】
アニメ本編では、森崎先生が属する、アガルタを探す秘密組織のことを「アルカンジェリ」と呼んでいる。
だが、「アルカンジェリ」という言葉を実際に調べてみると、意味合いが全く違う内容がヒットした(以下)
宗教・神話で言い伝えられている四大天使:ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル。
これらを総称して、「アルカンジェリ(大天使)」と呼ぶそうです。
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【ケツァルトル(神々)】
「星を追う子ども」本編でのケツァルトルは、アガルタの神と呼ばれ、死んだ生き物たちをその身に取り込み、死期が近づくと世界に響く歌を歌うと言われている。
このケツァルトルの参照元が、「ケツァルコアトル」
アステカ神話に出てくる文化神・農耕神のことで、風の神とも呼ばれていた。
古くは水や農耕に関わる蛇神であったが、後に文明一般を人類に授けた文化神と考えられるようになった。
ケツァルコアトルの ”死に際”の伝説として、自分の宮殿を焼き払って財宝を埋めたあと自ら生贄となり、火葬された灰が何羽もの美しい鳥となって空へ舞い上がったとも、虹の彼方に消えていったとも、金星に姿を変えて天に逃れたとも言われ、後に「金星の神」とも言われるようになった。
(この「死に際の伝説」は、形を変えてアニメ本編でも活かされていますね。)
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【フィニス・テラ(世界の果て)】
星を追う子どもの本編では、”世界の果て”と呼ばれ、そこにはこの世のモノとは思えない壮大な崖があり、その崖下にある「生死の門」に辿りつければ、死者を蘇らせることができると言われている。
で、、
このフィニステラ、実際の世界にも実在する場所で、スペインの最西岸に位置する港町だそうです。
大西洋に面しているところで、実際も「この世の果て」と呼ばれている。
また、キリスト教の3大巡礼地(スペインのサンディエゴ)の最終地点に選ばれているのも、このフィニステラです。
陸地が終わり、荒々しい海が始まって「黄泉の国」へ人々を誘う場所と呼ばれていて、
キリスト巡礼者は、巡礼中に着ていた服、はいていた靴、突いてきた杖を燃やし、自分の巡礼を終了させることで、それまでの自分を捨て生まれ変わる。といった意味を持つといいます。
(本編の設定にある程度通じていますね。)
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【日本神話】
「星を追う子ども」本編で、森崎先生が国語の授業で読んでいたのが、「黄泉の国」という日本神話です。
この「黄泉の国」は、実際に日本最古の歴史書である「古事記」の中の日本神話の章に記されている内容になります。
(古事記>日本神話>黄泉の国)
【黄泉の国の内容(以下)】イザナギノミコトは、死んだイザミノミコトにもう一度逢うために、黄泉の国(地下にあると信じられた死者の世界)に行って、イザミノミコトを探しみごと発見するが、その姿は世にも恐ろしい変わり果てた姿のイザミノミコトだった・・・
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【その他】
これは個人的に気になった箇所なのですが、冒頭のシーンでアスナが秘密基地に入り、基地内の机や本棚が映った時のシーン。
そこに、以下のような本が本棚に入っていて、ちょっと注目してしまいました。
「共産主義の原理」
「レイテ湾の艦隊」
「帝国空母戦史」(上記3つとも、このようなタイトルの本はありませんでした。)
(なんで、こんな場違いな本をチョイスしたんだろ?w)
以上、「星を追う子ども」が参照している「神話」etcでした。
「星を追う子ども」を観た感想・評価 ~アスナとシュン・シンには血縁関係があった?アスナの父親の謎
当章では、僕が個人的に感じた作品の感想や言いたい事について、順にまとめていきたいと思います。
大きく、以下3つ。
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【アスナの現実逃避と、僕の東京逃避】
「星を追う子ども」では、冒頭でアスナのパーソナルな部分やプロフィール情報が公開されていくが、彼女は若いながらに中々複雑な家庭環境に育っています。
・まだ、小学6年生
・父親は死んでいる
・母親は看護師で、忙しくて家に居ない事が多い。
・家事選択を一人でやって、一人でご飯を作って、一人で食べている。
・学校ではクラスの委員長、テストの点数も一位と成績は良い。
・日常に不満や悩みを持つ・・・自分だけの居場所である秘密基地を作ったり、どこか知らない世界に行きたいと願っていた。このように彼女を分析してみると、ポジティブな要素よりネガティブな要素の方が圧倒的に多いように思う。
そして、僕自身共感できる部分が多分にある。
父親のいない家庭であったり、兄弟もおらず母親と二人っきり。(祖父母が近くにいた事はかなり救われたが。)母親が入院した時なんかは、1人でご飯を食べて1人で寝ていた。それが中学校時代。
高校に上がってからは、「卒業したら東京に上京すること」をずっと夢見ていた。
知らない世界、煌(きら)びやかな世界、怖い世界、人生が変わる世界、違う世界、闇の世界、そんな混沌とした抽象的なイメージが、僕にとっての東京で、
自分自身が変われる世界だと思っていた。そして18の年、僕は上京した。
・
・
・そんな風に僕は、主人公と自分とを置き換えながらこの作品を観ていました。
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【アスナにはもっと深い設定があって、シュン・シンとの関係性ももっと深いモノがあるべきだ!】
これは、「星を追う子ども」のストーリー展開やキャラクター設定に物申したい内容です。
(一番、言いたい事はココ!)
まずは、アスナの設定について。
アスナは幼少の頃から父の形見である石:クラヴィスを大切に持っていて、その石はアガルタへの鍵となる石で、本来アガルタにしか無い石である。
ということは、アスナの父親はアガルタ人である事は容易に想像ができるが、(原作版では、その言及があるそう)
であれば、もっとアスナに重大な設定を与える事ができるのではないか・・・
例えば、アガルタの王の血筋であるとか。シンやシュンと血が繋がっているとか。
そして、実際に本編中でもアスナはもっと重大な人物であるんじゃないか・・といった描写がある。
【シュンとアスナの出会いシーン】(夜空を見上げ泣きながら)「僕はきっと君に会いにきたんだ。」
「僕はね、アガルタというところから来たんだ。どうしても観たいモノと、どうしても会いたかった人がいたから。」
「アスナ、ただ君に生きていてほしい。それだけでイイんだ。」
これは、シュンの言葉なのだが、なんで出会ったばかりのアスナにここまで言えるのだろうか?
しかも、シュンが病魔に蝕まれていて死が迫っている時期に、禁断とされている地上に来てまで。。
何かしらの、深い関係性が二人にあったのでは?
そして、シュンやシンが暮らしていた村の長と思わしきおばあさんは、以下の言葉を残している。
「そなたの兄は天分があったのだが、宿業の病が地上への憧れを強めてしまった。」
”宿業の病”
宿業:前世に行い、現世にその応報を招いた善悪の行為。
(前世に何があったのか?アスナの血筋と関係が?)
そして、謎はシュンだけじゃない。
本来、アガルタに生息しているはずの「ミミ」がなぜ地上にいたのか?そして、なぜアスナには懐いていたのか?
このように深く考察すると、謎は多い。。
・アスナの父親はいったい何者だったのか?・本当にアスナとシュン・シンの関係性は、本編で描かれているだけのモノだったのか?
・なぜ、ミミが地上に居てアスナに懐いていたのか?
本編ではその辺の謎(伏線)が全く回収されていないのだ。
-
【ラストの展開は良かった!】
本編ラスト。
森崎が、妻:リサを生き返らせるシーン。
だが生き返らせるには、その代償が必要で、その代償にアスナが選ばれたクダリは良かったです。+右目を奪われた事も。
”死者を生き返らせる” といった生命の運命に逆らうことの代償が、ちゃんと描かれていたこと。そこに物語の深さを感じました。
新海誠監督は、この作品について以下のように語っています。
「この作品は死者に会いに行く作品なんです。大切な人が死んでしまって、その人にどうしても会いたいから会いに行くというお話。
死者が大事なのか、それとも隣にいる生きている人が大事なのか。これってなんとなく道徳の授業的に考えると
”死んだ人の事をいつまでもウジウジ考えていないで、生きている人の方を大事にしよう。”
というのが一般的な考え方なんだと思います。けど、世の中には死んだ人の事がずっと大事で想い続けている人もいる。
だから、”こっちが大事なんだ!”、”こう生きなければいけない!” という、死んだ人じゃなく生きている人の方を向いて生きるべきだよっていう風には一概に言えないと僕は思います」
最後に・・・その他の新海誠監督・映画作品について
冒頭に述べている通り、僕は「君の名は。」を劇場で観てから、新海監督の作品を一通り見てみようと心に決めました。
というわけで、今作:「星を追う子ども」だけでなく、他の作品についても、感想や考察記事をまとめているので良かったら見てみてください。
(新海監督作品の変遷や作品ごとの特徴についても、まとめています。)
・aaa
ではまた、じゃーねー。
アスナが居る世界→常世(現世)
アガルタ→隠世(あの世)
日本の神道・仏教のごちゃ混ぜ感がこの作品には入っていると思っています
日本神話の伊弉諾尊・伊弉冉尊が出てくる黄泉の話は伊弉諾尊が黄泉に行ってしまったから(亡くなった)取り戻しにいってえらい目に遭って逃げ帰ってきた
コレが先生と連結
先生は逃げ帰らなかったけど、この作品では水のような美しい?容姿を保っていたためかな?(ここはもっとドロドロとさせて死とはどういうものか表現して欲しかった)
アスナの父親→シュン・シンに転生輪廻しているが、兄にほとんどの記憶が残り、弟にはうっすら残っているだけ
このためシュン(亡父)はアスナに会いたかったし、会って安堵して転生(片手の無いケツァルトルはシュンと考察)し、
輪廻の輪に入った(生死の門)
ちなみに亡父はアスナが生まれたとき『祝福』を授けている(キリスト教)
神道の考えとして八百万の神な訳だから宗教観は無いし、キリストだって神の一柱と考えていいのでは・・・
個人的には空を飛んでる船はエジプトの「太陽の船」みたいだと思ってみた
徒然にコメントしてみましたが、私の主立った解釈です