どーもー、南条あやさんが生前、よく行っていた渋谷のカラ館に行ってきた「ゆとり」でーす。
「皆さんは、南条あやという人物をご存知ですか?」
中学生の時からリストカットを始め、その後、リスカだけじゃなく、精神系の薬物や注射器での採血等、あらゆる自傷行為に依存していき、自殺願望も抱えていた。(実際に、ODによる自殺未遂を何度かおこなっている。)
その後、彼女が高校3年生の時に始めた、とあるWebサイトでの日記投稿によって、その文才から彼女は次第にネット上で有名になっていき、「南条あや」としてメンヘラ系ネットアイドルのキャラを確立させていく。
(本名は、鈴木 純(すずき じゅん))
日記内容は、日頃の家庭生活から学校生活、自傷行為についてや、2ヶ月に渡る精神病院の隔離病棟に入院したときの模様などが、ほぼ毎日のように投稿されている。
また、雑誌やTVなどででも特集され、彼女のファンクラブができるほどの人気ぶりに。
彼女の死後も、「卒業式まで死にません」という彼女の日記がまとめられている書籍が出版され、現在に至るまで、時代を超えて、「南条あや」という存在は、一部の同じような境遇の人々に影響を与え続け、「メンヘラの第一人者」と呼ばれている。
実際に、僕も「メンヘラ」に関する記事を書いている過程で、彼女のことを知りました。
(メンヘラの意味とは?25の特徴や症状、原因や治し方(治療法)まとめ ~メンヘラ女子と付き合いたい時の対応ポイントも!)
そして、彼女の当時の日記や、書籍もちゃんと読ませていただきました。
というわけで今回の記事では、南条あやの生い立ちやイジメや不登校を経験した過去について。
また、
「本当に、彼女は自殺で死んだのか?」
南条あやの自殺当時の謎や死因の詳細について。
そして、彼女の関係者(父親や、彼氏・婚約者など)や、彼女の著書:「卒業式まで死にません」の内容や感想について、順にまとめていきたいと思います。
以下、目次。
- 南条あやの生い立ちや人物像まとめ ~母親と父親の離婚や、いじめ・不登校・リストカット
- 彼女の自殺の謎と死因 ~自殺前日に婚約者の彼氏にメールした4編の詩
- 彼女の関係者まとめ ~父親や婚約者、南条あやをプロデュースした「町田あかね」という人物
- ブログ日記がまとまっているメモリアルサイト:「南条あやの保護室」や、彼女の著書:「卒業式まで死にません」について
- 最後に・・・狡猾で頭が良く行動力も備えている「魔性の女」の素質を持った彼女
南条あや(本名:鈴木純)の生い立ちや人物像まとめ(写真画像あり) ~母親と父親の離婚や、いじめ・不登校・リストカット
まずは、彼女の生い立ちや人物像を以下にまとめてみました。
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「3歳の頃に両親が離婚してしまう。」
離婚後、母親は名古屋で再婚し、一度は母親に引き取られ義父と一緒に暮らすが、折り合いの悪さもあって、のちに父親に引き取られ、都内のアパートで二人で暮らす。
父親は、イタリアンレストランを経営していたが、経済的にはかなり苦しく、夜は彼女一人だけの時間が多かった。
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「小学生時代」
もともと、彼女は明るく活発な性格だったが、小学6年生の頃に、壮絶なイジメに遭い不登校になってしまうまでに。
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「中学生時代」
南条あやは、小学校時代の同級生から逃れるために、地元の中学校へは行かず、ちょっと遠い中学校に進学したが、そこでも悪目立ちしてしまい、イジメを受けてしまう。
その後、イジメは収まっていき友達もできるが、中学1年生の頃に初めてリストカットをやり、その後、死ぬまでリスカ行為は慢性化する。
また、この頃から自殺願望も強くなり、「完全自殺マニュアル」を購入している。
「完全自殺マニュアル」は、1993年の発行以来、120万部を突破する大ベストセラーを記録し、自殺界隈の中では非常に有名な書籍である。だが現在では、18禁図書に指定されるなど多くの物議も醸している。 -
「高校時代」
高校時代は、特にイジメなどを受けず、友達も居てうまくやっていた。
(南条あやの日記には、よく友達と放課後カラオケに行っている事が書かれている。)(ちなみに好きな歌手は、Cocco、小谷美紗子、tohko)
だが、慢性化していたリスカ等によって貧血や不眠症を併発してしまい、担任の先生の勧めで、高校三年生の頃から精神科に通い始める。
そして、厳しい貧血症状や目眩の末、7月下旬から2ヶ月の間、大学病院・精神科の閉鎖病棟に入院する。
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「ネットアイドル:”南条あや”の誕生」
彼女が、「南条あや」として有名になっていったのは、とあるサイトへの日記投稿を始めた事がキッカケです。
彼女は、以前から精神病や自傷行為関連、薬物系のサイトを巡回することが趣味となっていて、
その内の一つが、町田あかねという女性薬事ライターのウェブサイト:「町田あかねのおクスリ研究所」でした。(現在は閉鎖している)
このサイトの、「精神病と向精神薬に関する体験談募集」という企画に対して、南条あやがメールを送った事から、全ては始まっていくのです。
町田あかねは、彼女のメールからその文才を評価し、専属ライターとして彼女に日々の日記投稿をお願いします。
実際、彼女は勉強が苦手だったが、国語だけは特に勉強しなくても高得点を取っていたという。
また、文章を書くのも好きで、友達やお世話になった先生などに手紙を書く事を趣味と言っていたり、中学時代には同人雑誌の活動などもしていたそうです。
そして、彼女は高校3年生の1998年5月28日から、”南条あや(ライター名)”として、そのサイトにほぼ毎日、日記を投稿していくわけです。(1999年3月17日まで)
次第に、彼女の日記は、彼女と同じように心に病を抱えた人々を中心に多くの方々から支持を集め、11月には「ファンクラブ」も結成されるまでに。
さらに、雑誌やテレビ番組からの取材も入るようになり、”南条あや”という存在は、「メンヘラ系女子高生ネットアイドル」として、どんどんと有名になっていきます。
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「18歳の若さで、自殺」
1999年3月30日、その日は、卒業式を終えてまだ3週間しか経ってない頃だった。
南条あやは、一人で下北沢のカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬を大量に服用(OD)
その後、昏睡状態で病院に搬送されるも死亡が確定する。
だが、彼女の死にはいくつかの謎が残り、「自殺じゃなく事故」という説も多く上がった。
(僕自身も、彼女の日記をはじめ様々なソースを確認しましたが、彼女が ”明確な自殺をするという意志” の元、ODを行ったかについては懐疑的に思う部分があります。)(詳細については、次の章にてまとめています。)
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「卒業式まで死にません」の出版
南条あやの死後、彼女の父親は娘の日記を知ることになり、父親の手によって娘の日記が書籍化されます(新潮社より出版される)
ちなみに、「卒業式まで死にません」というタイトルは、”彼女が親友に約束した言葉” になります。(結局、約束は守られるも、卒業式が終わった3週間後に逝ってしまうわけだが)
本の内容的には、日記全てが掲載されているわけで無く、一部分が掲載され、
(1998年5月28日 ~ 1999年3月17日の全日記のうち、1998/12/1 ~ 最後までが掲載されている)また、父親のメッセージや、死の前日に南条あやが婚約者の彼氏に送った4編の詩の内容、雑誌で特集された内容等が掲載されている。
(詳細については、後述しています。)
以上、南条あやの生い立ちや経歴でした。
18歳の高校生ネットアイドル:「南条あや」の自殺の謎と死因 ~自殺前日に婚約者の彼氏にメールした4編の詩
「彼女は本当に自殺をするつもりだったのか・・・」
1999年3月30日、南条あやは、一人で下北沢のカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬を大量に服用(OD)、その後、昏睡状態で病院に搬送されるも死亡が確定する。
その後、彼女の死亡状況の確認や、司法解剖もされた結果、”推定自殺” とされた。
要は、「明確な自殺の意志があったかどうかは不明」というわけだ。
実際、彼女が服用した薬の量は「致死量」には満たなかったそうである。(そのため、当初は「毒殺」の疑いもあった)
そして、薬物に関して豊富な知識を持っていた彼女が、それを測り間違えるとは思えない。
また、司法解剖の結果、日常的に繰り返していた自傷行為(リスカ等)によって、心臓の弁に穴が空いていたことが、結果として死因に結びついたという。
要は、普通の人にとっては致死量では無かったが、彼女の(自傷行為が繰り返され内蔵的にも悪い影響が出ていた)身体には、致死量になってしまったわけだ。
これらの事から、以下のように推察ができる。
「彼女には明確な自殺の意志は無かった。その証拠にODした薬の量は致死量には至ってなかった。だが、自分自身の身体の状況を考慮していなかったために見誤ってしまい、彼女は死に至ってしまった。」
また、彼女が死んだ日の前日や前々日、1週間前の出来事からも、なぜ彼女が3/30に「死ぬ」という決断をとったのか、不自然な部分が多々ある。
※以下、詳細(自殺するまでの彼女の動向)
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3月10日:卒業式
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3月11日:彼女の日記内容(以下、一部抜粋)
11日に日付が変わって、私は完全に高校とも完全に分離したような、そんな状況です。
分離してみたら、怖いのです。何にもなれない自分が、情けなくて申し訳なくて五体満足の身体を持て余していて、どうしようもない存在だということに気づいて存在価値が分からなくなりました。
今まで卒業するという目標に向かってたらたらしながらも突っ走ってきたのが、目標を達成してしまうと、次に何をしていいのか分からなくなってしまいました。働くのがいいのでしょう。おそらく。
そんな気力もないのです。所属する何かがないと、私はダメになってしまうようです。
こんな自分を発見したのは初めてです。私は社会不適合者。私の足元は現在真っ暗。身体が震えます。クスリないとダメです。
私は焦っているのかも知れません。みんな4月になれば専門学校、短大、大学、就職、それぞれの道を歩んで行くのに、私だけ、一人取り残されたような。ソレも、自分の怠慢のせいで。
高校を卒業して、生きる目標や目的が無くなった自分。。。そして、4月からの進路が決まっていない事に病んでることが分かります。
(このあと、3/16まで日記の更新が止まります)
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3月17日:最後の日記
現在、不安な発作に襲われてどうしていいのか困っています。だーれーかー助けて。 -
3月23日:彼氏(婚約者)とディズニーランドへ行く。
自殺する1週間前の事です。
南条あやは、婚約者の彼氏と一緒にディズニーランドへいき、指輪を買って貰っています。
その日、彼女が彼氏へ送った手紙には、
「これからは、和やかに時間が流れるように生きたい。結婚まであと一年数ヶ月。楽しくて嬉しくて愛おしくて分裂症になりそうです。」(むちゃくちゃ、幸せそうです)
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3月28日:南条あやの卒業お祝いパーティー
これが、死ぬ前々日になります。
この日は、彼女の卒業を祝うために、友達8人ほどが集まって彼女の大好きなカラオケに行ったそうです。
カラオケボックス内には、彼女に向けてたくさんのプレゼントが渡されたとか。
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3月29日:彼氏の家に行く。
自殺前日です。
この日、南条あやは彼氏の家に行って、彼氏と一緒に作っている新たなサイト:「南条あやの保護室」の作成作業を一緒にやっています。(ここ最近、二人でいつもやっていたようです。)
だが、
彼女が帰ったあと、彼氏宛てに4編の詩が送られました(以下、内容)
・【名前なんかいらない】
起きなくてはいけない時間に起きて、しなくてはならない仕事をして、名前を呼ばれるなら、誰にも名前を呼ばれたくない。
何もかもを放棄したい。そして私は永遠に眠るために今、沢山の薬を飲んでサヨウナラをするのです。
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが私の最後の望み。
・【終止符】
私はいつでも追いかけられている。この世の中の喧騒とか義務なんてチンケなものじゃなくて、自分自身に。
誰も助けてくれない、助けられない、私の現在は錯乱している。
きっと未来も。ならば終止符をうとう。解放という名の終止符を。
・【頭痛】
頭痛の原因は分かりきっていることで、治そうとも思わない。この痛みは私にかせられた償いの一部。
あの子を殺したから。私が殺したから。私は軽くからかっているつもりでも、あの子には自らの命を絶つほどに辛いことだったんだ。
生涯、私はこの頭痛と付き合ってゆく。あの子の痛みを一部。ほんの一部。
(あの子って誰のことだろう?自分(鈴木純)の事なんですかね?)
・【私のことを】
私が消えて、私のことを思い出す人は何人いるのだろう、数えてみた・・・
問題は人数じゃなくて、思い出す深さ、そんなことも分からない。
私はバカ。鈍い痛みが身体中を駆け巡る。
・
・
・そしてこの日、彼女は、自分のコンピューターのハードディスクに残っていたデータを全て消去していたという。
-
3月30日:自殺当日の動向
午前11時 : 家を出て、学校へ絵の具を取りに行く。
12時過ぎ : 親友のYさんに携帯電話より連絡を入れて、「これから死にに行く」と言う。Yさんは彼女の行動を止めようとするも、居場所さえいわない。結局、彼女との押し問答は、30分くらい続いたそうです。
その後、南条は下北沢のカラオケボックスに一人で入店。
平行して、彼氏と、親友のYさん、父親の3人で、南条あやの居場所を懸命に探す。
だが、3人の捜索も虚しく、病院からの連絡によって彼女の死が伝えられる。
参考元 : 南条あやの保護室:あとがきにかえて
以上が、南条あやが自殺するまでの動向です。
上述からも分かる通り、彼女には婚約を誓った彼氏がいて、自分の卒業を祝ってくれるたくさんの友達がいて、自分の死に際を伝える親友もいました。
たしかに、前日の4編の詩からは、彼女が並々ならぬ想いや悩みを抱えていたことが分かります。この詩だけを思えば、次の日に自殺することもまだ分かります。
ただ、それにしても彼女が「自殺」を決断してしまうほどの状況だったのか・・・
1週間前のディズニーや、前々日の卒業パーティー、婚約者の存在。
本当に、このような状況で「死にたい」と思えるのか・・・
結局、本当のところ(彼女の本心)は、今でも分からないですが、多くの人が彼女の死に疑問を残しています。
南条あや(鈴木純)の関係者まとめ ~父親や彼氏・婚約者、「南条あや」をプロデュースした町田あかね
続いて、彼女の父親や彼氏(婚約者)など、彼女の周りの重要人物について以下にまとめていきます。
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「父親」
南条あやが3歳の時に離婚して以降、彼女とずっと一緒に暮らしてきた父親。
彼女がリストカット等の自傷行為をする原因を辿っていくと、最も根幹的なところにいるのは、おそらくこの父親だろう。
南条あやの父親は、彼女がまだ4歳の時にイタリアンレストランを開業しており、以降、夜の時間帯は父親は仕事のため、彼女は家で一人で過ごしていたという。
「母親と父親のいない孤独な時間」
これが、彼女が病みを抱えてしまった最も根本的な原因となっていることは間違いないだろう。
(自傷行為を始めて以降も、父親とのやりとりが引き金となって、何度もリストカットや自殺未遂を繰り返している。)
父親への不満や悩みは、たびたび日記にも掲載されていて、
・1998/7/7 の日記(一部抜粋)
「明日の精神科について父親に話していたところ、もう行かなくても平気だろうとか、話を聞いて薬を処方してもらうだけなんだろうとか、自立しないといけないとか言って来るんです。これにはもう閉口しました。精神的なことに関する知識というか理解が全くない。。。無いにも程があるほど無い。大学生・社会人・職業・年齢に関わらず鬱病や非定型精神病に苦しんでいる人も、全部ワガママだという父の考え。この馬鹿な親については明日の精神科で医師に訴えようと思っています。身体のことも精神のことも何にも分かっていないし、分かろうとしない馬鹿な親を持って私は最高にどうしましょう。どんなに私が正体不明の不安感に襲われても自殺衝動に襲われても、それは「ワガママ」ということで終結させようとする親」
・7/8 の日記(一部抜粋)
「父曰く、私はわざと精神病になっているそうです。親の言うことは全く聞かないし、病気じゃなくて入院したい、周りを心配させたい、ワガママ病だといいました。”もうやってらんねぇよ!” と父は叫んで、洗濯物干しを壊そうとして蹴り飛ばして、私の部屋にあった扇風機を持ち上げて床にガッシャン。何で私がこんな目に遭わなくちゃいけないのかよくわかりませんが、あの馬鹿な馬鹿な男のせいで私が死ぬのは勿体ないという気持ちになってきました。私が自殺したらあの馬鹿は、どうして私が死んだのか理解できないでしょうし、ワガママな娘が死んだと言って悲しむだけです。あの馬鹿が死んだら私は解放されます。そうしたらきっと幸せになれます。だから馬鹿が死ぬまで馬鹿にとっての良い娘を演じ続けようと決心しました。私も、あかね様のように親が謝ってくれるなら、本物の心で接して、仲良く暮らしていきたいです。でも、無理そうだから。親と子供の心が通じ合う・・・そんな甘い考えは私の近所に転がっていません」
・9/11 の日記(入院中)
「O先生と面接しました。延長した退院の3週間の間、一体どんな風に父と慣れてゆくかについて考えました。私はネガティブな考えしか浮かばなくて困ります。
1.私が死ぬ 2.父が死ぬ。こんなんしか考えつきません。あぁ絶望的。
父が来ました。私は”退院する自信、決心がつかないのであと3週間ここにいさせて下さい” と書いた紙を父に渡しました。それから、もう全てがめちゃくちゃになりました。父、怒る、先生なだめる、私、固まる。先生になだめられて帰りました。父が。私は不安定の頂点を極め、屋上から飛び降りるかトラックにはねられるかして、死のうと思うくらい錯乱して」
・1/14 の日記
「父がまた経済的に苦しいということをネチネチ愚痴ってきます。経済的に苦しくてソレをブチブチ愚痴るんだったら私に援交でもさせろよ。そのほうが遥かに私の心の負担が少なくてすむよ。と思います。週休2日で1月200万稼いでやるよ。けっ。ってかんじです。荒む(すさむ)心」
・1/25 の日記
「(父親から)”今学期の学校の月謝は払ってねえからな” だそうです。その後、命かけて育ててきただの、謎の言葉を発する機械と化していた父です。どうして月謝をわざと払わないの?私は卒業させてほしいってあんなに言ったじゃない?ウチは貧乏なのは分かるけど、どうしてあなたの入れ墨はまた入れ始めたの?」
・2/28 の日記
「(父親が)何かすごく怒っているみたいです。いやだ。やだよ。機嫌なおして、普通の父さんに戻ってよ。私悪いところがあったら治すから。気がつくと私は泣いていて震える声で父に何かを問いかけていました。
好き勝手に生きて、いいんだね。私じゃ父の心を癒やしてあげられないんだね。じゃあ私の存在価値ってなんだろう。ああM先生に電話したい。でももう診察終了時間だ。
父が理解できない。努力したけど。もう、生きていても意味がないのかな?何の取り柄もない。気狂い。親からそう言われてしまうぐらいの気狂い。きっと本当だよ。
私は、いてもいなくても同じなんだよ。いない方が良いんじゃない?気狂いなんだし。なら消えてしまえ。(このあと、泣きながらそのままの姿(パジャマに裸足)で外に出て、ビルの屋上に行き飛び降りようとするが、寸前の所で父親に取り押さえられる)
”好き勝手に生きろって言ったじゃねーか、放せえーーー”とわめき狂いました。あんなにわめき狂ったのは何年ぶりでしょう」
といった具合です。
いかに南条あやが生前に父親との関係を悩んで苦しんでいたかが分かります。
ただ、一方で父親が彼女を愛していなかったか?・・・と言われれば、それはまた違うようで、父親は父親なりに彼女を大切に思い愛していたのでしょう。
南条あやが生きていた頃は、門限が夜8時と言いつけられていたし、どこかに外出する際は父親の携帯電話を持たされていたと言います。(それだけ心配されていた)
(南条あやの死後、父親からのメッセージ)
2002-04-15
「純(南条あやの本名)、3年が過ぎてしまった。だけど時間が止まっているようだ、キーボードを前に手が止まってしばらく純の事を考えてしまう。
純のように文章が続かないんだ。でもこんなパパが一生懸命にパソコンに向ってるのを想像出来なかっただろうなぁ。
取りあえず今日は店名を「純」と変えようかと、少し前から考えてると報告。」参考元 : 南条あやの保護室:残された者の言葉
2002-05-28
「あやの気持ちがわかるような気がします。今店に1人でいます。友達にふられ、親も冷たい。死にたい、消えたい。そんな心情が今分かります。53歳、あやもいない。死にたい消えたい。パパもそんな気持ちかな。18歳で親のこと考えろなんて無理だよな。
親と子・あやと俺の食い違い・・・分かっていても話せない。無になってしまったあやと比べては悪いが寂しいが、パパも辛いよ寂しいよ。。今まだ、そしてこれからも」
参考元 : 南条あやの保護室:あやパパより亡き娘への手紙
父親は、彼女の死後、自らの体を位牌とするべく、「南条あや信女」と刺青をいれたそうです。
(彼女の生前から、父親の身体には刺青が入っていたり、サイドカーに乗っていたりと、かなりワイルドだった模様)(また、南条あやだけじゃなく、父親も頭痛や不眠のために眠剤などの薬を飲むようになります)
-
「彼氏(婚約者)」
南条あやは、20歳になったら結婚する事を誓った一人の婚約者がいました。
相馬 ヰワヲ(そうま いわお)
※南条あやの日記では、「Aちゃん」と書かれている。(彼氏や婚約者という表記はされていない)
【彼女の死後、彼の言葉】
私は南条あやを失ったが、彼女を愛したことは今も後悔していない。
あやが死んで一年以上が過ぎた。だが、今でもあやは私の中に住んでいる。あやを失ってから苦しみ混乱し、呆然とした日々が続いた。倒れそうになりながら、沢山の人たちに助けられた。
また、
彼は、南条あやの生前から、共に「彼女の新たなサイト」を作ってきた代表メンバーで、
彼女メモリアルサイト:「南条あやの保護室」は、相馬ヰワヲが作ったといっても過言ではない。
(1999年4月1日の公開を目指し、3月20日前後より一緒にサイトを作り出す。そして南条あやの最後の一週間は、毎日のように彼女が彼の家にやってきて、共に制作作業をおこなう)(その後3月30日に彼女が死んだことで、サイトの制作を続けていくのか悩むが、彼女の想いやファンの助けによって、4月18日に暫定オープンを迎える。)
サイト公開後も、彼は先頭に立って「南条あやの保護室」という大規模サイトを管理・更新していき、「Aya’s Black Children」をまとめあげていきます。
※Aya’s Black Children(略してABC、あやの黒子達) : 掲示板で呼びかけて集まったメンバー(制作スタッフ)
サイト上には、相馬ヰワヲ氏の日記コンテンツもあり、
南条あやが死んだ日から49日を境に、彼の日記が掲載されていく。
・「最初の投稿」
49日間で変わったこと。
あやが死んだ。あやに霊安室で逢って泣いた。あやは解剖された。あやは焼かれて骨になった。
あやの弔問に立ち会った。あやの知り合いの沢山の人たちと出会った。あやのことを世話になってた看護婦さんに話した。
あやの事を沢山の人が泣いてくれた。あやの死因がわかった。あやの原稿が本になった。あやのことをたくさん考えた。
あやを救えなかった。あやのことを分かってやれなかった。あやをもっと愛したかった。あやの側にいたかった。あやを守りたかった。あやが死んで49日がたった。
あやのことは、一瞬だって忘れたことがなかったから、今も涙が出て止まらない。・「8/13(あやの誕生日)の投稿」
今日はあやの家で、あやパパ達と過ごさせていただいた。
持っていったプレゼントは「HIBIYA KADANN」のきれいな黄色い、けして枯れることのない真空瓶に入った花と僕の描いた、あやの肖像画。
僕にとってまだ、あやは生きているし、あの家に住んでいる気がするから安らげる。
彼女は今日で19歳になった。そして彼女が20歳を迎えたとき、僕は彼女と結婚する。
むろん婚姻届をするわけでもなく、添い遂げるわけでもないが、それが僕とあやパパなりの供養だ。
そしてひとつひとつ、消化していけるのかもしれない。けして逢えないけれどあやは、今日確かにそこにいた。この後、相馬氏の日記は、1999/12/31まで続いている。
そして、彼はサイトの視聴者に向けて、以下のメッセージを送っている。
南条を、また南条の文章を愛していただいた、皆様にどうか、これだけは守ってください。南条のまねををして、南条の後を追ったりしたりしないでください。
彼女は勝手にどこかに逝ってしまいました。
一見自由に見えるこの行為は、私たち残されたものには絶望と哀しみしか置いていきません。
この気持ちこそが、残された我々に生きなければいけないという事を教えてくれるのではないでしょうか。
-
「元彼:KuRI氏」
実は、南条あやは相馬 ヰワヲ(上記の婚約者)と付き合う前に、もう一人他の男性と付き合っていました。
それが、KuRI氏
※正確には、1999年1月の間は、二人と同時並行で付き合っている。(要は二股)、その後、1月の終わりにKuRI氏とは別れている。
KuRI氏とは、どういう人物か・・・以下の彼のサイトを見れば、ある程度の人物像が分かる。
「スニッフ増進会」・「リタリン依存者の会」・「全国LSD機構」などなど、薬物に関する危なそうなワードが並んでいる。
以下のプロフィールページからは、彼は鬱病を患っており、南条あやと同様に、精神病・薬物関連の雑誌にて特集されていることが分かる。
また、
KuRI氏は、日々の日記も投稿していたようで、当時南条あやと付き合っていた頃の事も掲載されている。
「1999年1月後半の彼の日記」
20日:一緒にカラオケに行っている。南条あやを「姫」と呼んでいる。指輪をプレゼントする。
21日:一緒に映画をみる。
28日:デートをする。とんかつを食べる。参考元:KuRI のだるだる日記
※この頃に、南条あやは同時並行で相馬氏とKuRI氏と付き合っている。
※彼女の日記では、相馬氏が「Aちゃん」、KuRI氏が「友達」という表現になっている。
そして、彼女の死後、KuRI氏は以下のような日記を投稿している。
「4/6 の投稿」
ボクと彼女は1月まで付き合っていた関係であった。別れ話はちょっとしたすれ違いと向こうの事情。
彼女にはもう立派な婚約者がいたし、ボクは自分の幸せと彼女の門出を祝福することを願った。ボクは彼女が置き去りにしていった幸せの分まで幸せな人生を過ごすつもりだ。
悲しみを正面から受け止めることが僕の彼女に対する誠意だった。涙をこらえつつも泣きました。帰りの電車でも家に帰っても。同時にこみ上げてくる怒りをどうぶつけたらいいか分からない。彼女は父を裏切り婚約者まで裏切った。
「自殺はしない」という互いの約束を破った以上に、そのことに対して憤りを感じた。「バカー!」と叫びたい一心。
-
「町田あかね」
南条あやという才能(経験と文才)を発掘し、彼女に専属で毎日の日記の掲載を依頼したのが、「町田あかね」という女性です。
なので町田氏がいなかったら、「南条あや」という人物は存在していなかったと言っていいでしょう。
当時、町田氏は自身のホームページを運営していました。(以下)
(現在は、上記のアーカイブに残っているだけで、サイト自体は閉鎖されています)
上記を見てみると、タイトル通り、薬に関する情報や正しい扱い、掲示板などがコンテンツとなっています。
そして、その中に「現役女子高生あやちゃんのお部屋」もあることが分かります。
ここで毎日、南条あやから送られてくるメール(日記)を、町田氏が公開していたわけですね。
ちなみに、町田氏のプロフィールも掲載されています。
(くすりネタを執筆しているフリーライター・薬事研究家として活動している事が分かる)
南条あやの生前、二人はネット上だけでなく、リアルでも会うようになり仲が良かったようです。
実際、南条は「あかね様」と慕って、二人で会っている時の模様を日記に書いてたりもしました。
・1998/8/8 の日記(入院中)
「あかね様に電話をして、ワガママを言いました。”短パンをお代後払いで買って来ていただきたいのです”と。そうしたら8月13日の私の誕生日プレゼントとして買っていただけるそうです!あれあれ まあまあ何と申し上げてよいのやら。ありがとうございます」
・10/10 の日記
「今日はあかね様と遊ぶ&打ち合わせの日です。(食事&ケーキ屋さん&カラオケ)・・・マジで楽しかったので、また本当に遊びましょうね!あかね様!」
このように、二人はプライベートでも非常に仲が良かったのが分かりますが、
”ある時”を境に二人の関係は雲行きがあやしくなっていき、徐々に悪くなっていきます。そしてそれは、南条あやの死後以降にも及んで波紋を呼ぶことになります。
(以下、詳細)
二人の関係が悪くなりだしたのは、1999/2 頃からで、その頃に開かれた「宝島社の編集会議」が発端と言われています。その席で、南条あやが「私、20歳になったら結婚するの!」と言った事をきっかけに、町田あかねは彼女から徐々に離れていったのです。
そして、それまでは付いていた「南条あやの日記」に対する町田氏のコメントも付かなくなり、なにより町田氏の彼女への態度が、目に見えて冷たくなったといいます。
(周囲の人間にも、「南条あやがウザったい」等と言っていたとか)
実際に、2/14~2/21の8日間、日記がまったく更新されなくなりますが(こんな事は入院のとき以来はじめて)、その原因は町田氏で、
「2/22」
しばらく日記を休載していた南条あや、再び登場です。日記を休載していた理由?それは、あかね様の大人のお仕事の事情。大変なんです。ライターって。あかね様と話しているとつくづくそう思います。
その後、99年4月からの南条あやの日記の更新はしない。という事になり、それを受けて彼女は、彼氏(婚約者)とともに、急いで自分のホームページを立ち上げなければならない事態になったわけです。(3月15日前後)
そして、南条あやの自殺。
その後、
町田氏は彼女の家に弔問(ちょうもん)に伺い、南条あやが入院中に書いた手書きの日記(ノート)を父親に返却する。
しかし、全部で4冊あるべきはずのノートが、1冊欠けていたのだ。(町田氏は、紛失したと言っている)
実際、「南条あやの保護室」に掲載されている入院期間の日記には、98年8月11日~8月21日までの内容だけが、きれいに抜けてしまっている。。。
これが以降、町田氏と南条サイド(父親や婚約者、ABC他)の長い長い確執の原因となります。
そして、4月12日の彼女の弔問(ちょうもん)以降、彼女と一切の連絡が付かない状態になったそうで、
その間、町田氏は2度にわたって、某出版社を訪問し南条あやの本の出版を打診している。それも、遺族である父親の同意もなく黙って。
その後結局、南条あやの日記の著作権は父親のモノとなり、町田氏の出版の話は頓挫することになります。
また、これら一連の町田氏のおこないは、ネット上でも広く批判を浴びたのでしょう。町田氏のサイトは閉鎖し、以降ネット上からも姿を消し消息は不明のようです。
以上、南条あやの関係者まとめでした。
ブログ日記がまとまっているメモリアルサイト:「南条あやの保護室」や、彼女の著書:「卒業式まで死にません」について
南条あやの死後に公開されたメモリアルサイト:「南条あやの保護室」
彼女の投稿していた全ての日記は、こちらのサイトにて公開されていたが、現在(2017/3)このサイトは閉鎖されていて、残っているのはアーカイブ・バージョンのみ。
上記を見てもらえれば分かるが、彼女の日記だけではなく、かなりの量のコンテンツが公開されていることが分かる。
以下、コンテンツ(一部)
- 南条あやの自己紹介(生い立ちから小・中・高時代と、エピソード交じりに詳細に紹介されている)
- 彼女が処方されていた薬の一覧
- 彼女の年表(経歴)
- 彼女の写真集や、彼女が書いた絵画一覧
- 南条あやの父親紹介や、父親からのメッセージ。父親の日記も。
- 南条あやの彼氏(婚約者)紹介や、彼からのメッセージ。彼の日記も。
- Aya’s Black Children(ABC)の、メンバー紹介
等々、南条あやに関する膨大な量のコンテンツが、このサイトにはまとめられています。
そして、メインである彼女の日記(1998年5月28日 ~ 1999年3月17日)
僕も全部ではないですが、ほぼほぼ彼女の日記を読まさせてもらいました。
その中で僕の抱いた感想や見どころについて、以下にまとめてみます。
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「日記内容」
普段の日記内容は、主に家庭生活と学校生活、通院模様、渋谷での遊び(カラオケや献血等)、その日飲んだ薬の話などが中心となっています。
日記を読んでいたら分かりますが、本当に毎日毎日、しかも大量の薬を飲んでいる事が分かります(薬漬け)
(以下のような薬を飲んでいる記載が毎日のようにある)
12/2 : そして今日は8時半には眠るぞー。ということで、この日記を書く前にメレリル、エバミール2錠、ホリゾン3錠、リスミー、レキソタン10mg、ソラナックス5錠、セパゾン2錠をガボガボと飲んだのでちょっと眠気が。。。また、
南条あやは、普通に友達もいて、後半には彼氏もいます(日記上では、Aちゃんという友達ということになっていますが、実際は彼氏の事です)
学校の友達はもちろん、入院時に出会った友達、ネット上の友達などなど。普通にカラオケに行ったり、プライベートでも遊んでいる模様が描かれています。
(なので、ある意味、普通のJK ともいえる)
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「見どころ」
僕が個人的に思う南条あやの日記の見所は、2つあります。
1つは、入院時の日記(7月後半の入院準備~10月始めの退院後の生活まで)
日記には、精神病棟(閉鎖病棟)の様子や決まり、そこに居る人達の特徴や、彼女とその人たちとのコミュニケーション等。珍しい環境(閉鎖病棟)でのリアルドキュメントが詳細に綴られていて、とても読み応えがあります。
(入退院前後の彼女の精神的な変化も)
続いて、もう1つが1999/1から頻繁に名前が出てくるようになる「Aちゃん」との関係です。
日記上では、入院時に出会った女の子の友達ということで隠されてますが、実際は彼女の彼氏です。
(初めて名前が出てくるのが、たしか12/27)
1月のとある期間はほぼ毎日会っていたり、お互いの家を行き来したり親にも挨拶したり・・・お互いにかなり大事な存在であることが分かります。
また、Aちゃんとのやりとりについては、やたら詳細に描かれていて、南条あやが楽しみながら書いてるのが伝わってくきます(幸せそうで、好きなんだなーって)
(Aちゃんが自分の日記を読むであろう事もかなり意識された文章になっている)
このように、Aちゃん=彼氏。として想像しながら読むと、色々と面白いです。(ただの友達ではないことは、バレバレなんですけどねw)
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「”母親”についての情報がまったく無い」
少なくとも自分が確認した範疇の中で、”母親” についてはまったく描かれていませんでした。
=(イコール)、日記を書いている期間に母親と会った回数は「0」であり、また彼女が母親の事を考えたことも「0」というわけです。
(思い出等も、まったく記載が無いため)
彼女の精神的な病み(闇)って、きっと元をたどると、3歳の時に両親が離婚をして離れ離れになった事に繋がるだろうし、この辺についてはかなり闇が深いなと勝手に感じています。
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「南条あやの文章」
リスカやODといった壮絶な経験をしているにも関わらず、彼女の文章には、その壮絶さや鬱々しさが出ていません。
むしろ、明るくハツラツとした文体で、クスッと笑えるような冗談や皮肉も織り交ぜられています。
これは、どんな重大な出来事にも、彼女は客観的・かつ嘲笑的に文章を書いているので、その苦しさや重大さが読者には分かりにくいのです。
(客観的になれる余裕があるじゃん!ってなってしまう。)
あとは、文章の最後にカッコなどで、一言いれているのも彼女の特徴です。
・先生の字が小さくて私の位置からは見えません(泣笑)
・いったい何に属する薬だぁぁぁ!?
・父は叫んで洗濯物干しを壊そうとして蹴り飛ばして(壊れませんでした。プッ。嘲笑)
・私は笑顔で父に献花できると思います。ウフッ。
このように、一言入れることによって、より事の重大さが掻き消されているんですね。
(嘲笑的・シニカル的な彼女の性格が反映されているのかな?)
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「鈴木純と南条あや」
彼女は、意図的に客観的であり嘲笑的な文章を心がけていたのかもしれない。
”南条あや”として。
”メンヘラ系ネットアイドル”として。
「悲惨な経験や精神状態をを売りにしていかなければならない。私は幸せになってはいけない。」
このような強迫観念があったのかもしれません。以下はとある日に彼女が書いた日記の一部分です。
この頃安定しているから今ひとつ話題に欠けます。(笑)日常生活のことを話して、状態を聞かれて。そんなカンジで終わりですもの。まぁ先生(担当医)はこのような状態の方が診察楽でお金が取れていいんでしょうけど、このサイトの皆様はもっと荒廃した私の精神状態を期待なさってる方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
やーん、また静脈切断ぶっしゅー、とかエヘヘ、援助交際始めて理想の父親像を探しに来ますとか、トラックに突っ込んでみました!とか。思っていませんか?微塵も?ハハン。
彼女は、自分が作りだした ”南条あや”という架空の存在に救われた部分もあれば、(自分が)殺された部分もあるのかもしれません。
以上、南条あやの日記に抱いた感想でした。
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そして、この日記は、彼女の死後に書籍化されることになります。
(僕も購入して読みました。)
この「卒業式まで死にません」には、全日記のうち、1998/12/1~の最後の3ヵ月間分しか掲載されていません(なので、入院期間の内容も未収録)
なので、南条あやの日記を全部読みたいって方は、書籍より上記のメモリアルサイトを確認してください。
ただ、書籍には日記だけじゃなく、オリジナルコンテンツもあるので買う価値はあると思います。
以下、コンテンツ概要(目次)
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「はじめに」
「卒業式まで死にません」の冒頭には、父親からのメッセージが収録されています。
娘が生まれた時から人生が変わり、娘が生き甲斐だったことや、娘の死後に初めて日記の存在を知ったことが書かれています。
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「死の前日の4編の詩」
南条あやが、彼氏(婚約者)に送った詩です。
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「雑誌に掲載された文章」
生前、宝島という雑誌の「自殺したい人びと」という特集に、南条あやの文章が掲載されます。
その時の文章が全文紹介されています。
タイトル:「いつでもどこでもリストカッター」
内容的には、小学・中学・高校時代のことや、自分の性格について。また、最初のリストカットの話や自殺未遂の話。リスカがエスカレートしていった時の模様。
さらに、貧血や耳鳴り、不眠症や幻覚といった症状や、入院するまでの経緯が詳細にまとめられています。
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「日記」
初日の内容と、1998/12/1 ~ 1999/3/17までの日記がまとめられています。
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「精神科医:香山リカの分析」
業界では有名な精神科医:香山リカが彼女の日記を読んだ上で、その感想や彼女の性格や特徴、自傷行為や自殺に至る理由や背景を分析・解説しています。
ここで、特に印象に残ってるのが、
香山氏が、とある精神科医の論文を引用している部分で、
「彼ら(精神病患者)は自己の不安や抑うつを自己にかわって抱え、処理してくれる人、苦痛な体験をしている自己を自己にかわって慰め支えてくれる人を必要とする。
そういう対象が得られないと、彼らは強烈な見捨てられ感情を持つ。
これは自己の外の対象から見捨てられるというだけでなく、自己と不可分の対象、すなわち自己の一部が喪失するような破滅体験である。
薬物依存、家族に対する暴力、自傷行為や自殺企図、その他の自己破壊的行動などは、この破滅的な見捨てられ感から生じるものであり、同時にそれを回避しようとする試みでもある。」
(破滅的な見捨てられ感とは、これは誰か他人に見捨てられたというレベルのものでは無く、全ての人から・・自分自身さえも自分を見捨てている状態をいいます)
(自分自身でさえ、自身を軽視・軽蔑している状態が、リスカやODに繋がることが解説されています)
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「南条あやの経歴」
彼女の生い立ちから、死ぬまでの経歴がまとめられています。
以上が、「卒業式まで死にません」のコンテンツ概要になります。
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最後に、南条あやの日記の中で、印象的な文章を以下にまとめてみました。
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7/25(入院する前々日)
入院する部屋が4人部屋と聞いて嬉しいような残念なようなー。
8人部屋もあるらしいのです。そっちの方がうるさそうではありますが、人が沢山いるので面白い日記が書けそうです。
まぁ、娯楽室にたまって人間観察をいたしましょう。そうしたら面白い人もいるでしょう。男女共用ですから。
卓球するにも会話をするにも面白い日記を書くにも(笑)
友達は必要不可欠です。 -
9/30(入院中)
えーと、私の病名は「パーソナリティーの障害」だそうです。自分では「リストカットシンドローム」だと思っていましたが、そういえば手首を切る以外にも自傷行為をしているわけで、リストカッターじゃないそうです。
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10/2(退院時)
ツバキちゃん、マリア、青木さん、林さんが「頑張ってね」とか「元気でな!」とか「戻ってくるなよ!」とか言って見送ってくれた。
泣きそうだったけど、こらえた。
O先生と父と3人で面接して、帰ることになる。
担当ナース、婦長、O先生、U先生、そこらにいたナース含めて5、6人が最後の鍵扉のところまで見送ってくれました。
もうだめでした。泣きました。別れるの、悲しすぎる。
ナースが「泣かないの。頑張って!」と励ましてくれた。O先生もみんな励ましてくれた。 -
10/7
退院から5日。日々、泣いて暮らしていました。
泣いて暮らしているって言うのは冗談ではなく、マジで泣いています。
学校行っている間はただの暗い女状態ですが、家に帰って父が出勤すると病院での楽しい思い 出、看護婦さんが優しかったこと、なんだかんだで主治医が一生懸命やってくれたこと、でも今は周りに看護婦さんもいないし一人なんだって思って一人泣いて泣いて、どうして良いのか分からず家中を駆けずり回ったり、棒きれで体中を叩いたり、剃刀でおでこを切ってみたりと大分錯乱しています。 -
10/10
私は、新井素子の「おしまいの日」を読んでいました。
これを読むのは4回目です。愛している旦那様のことを想うあまり段々気が狂ってゆく悲しい悲しい主婦のお話です。この本は恐怖も与えてくれます。終盤には感動も与えてくれます。だから4回も読むのです。(11/12にも、図書館に行って、同著者の本を計4冊ほど借りている)
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10/24
まぁ、取り敢えずのとこ、卒業してしばらくは死なない予定なので約束半分。
よっぽどのことがない限りこのままノウノウと生きていきます。っていうか1999年7月(ノストラダムスの大予言)に何があるか見届けたいし、 何もなくても2000年になる晦日の瞬間は是非見たいですね。
2000年になる瞬間を見られるなんて、今生きている特権の一つかもしれないと思う私でした。 -
10/26
思うのですが、小学生30人31脚ってヤツはなんなんでしょうネェ。私が小学生の頃になくてよかったよ、本当につくづく思います。
テレビで中継されていて、たまに転んじゃって優勝候補だったようなチームが駄目になるときあるのね。
どんなに先生が注意しておいたって、転んだ子には必ず非難が集中すると思うよ。イジメの始まりかもね。表だって現れなくたって心の底には残るんだから。転ばなかった子達の頭の中でそんな雑念がグルグルしちゃうんだから。
転んだ子だって周りが何も言わなくても色々考えると思うよ。暗い子になるかもね。ははは。例え300人の小学生が汗をかいて努力して、良い思い出を作れたとしても、1人の辛く苦しい小学生が生まれても、良いのかな。と思うのです。 -
10/30
私には今、親友と呼べる人が他のクラスに1人しかいません。あちらは親友と思ってくれているかどうか分かりませんけど、今クラスで友達をしているのは上辺です。
女子は集団行動する友達がいないと悲しい生き物ですから、とにかく上辺だけの付き合いです。
冷たいヤツと思われようが、とにかく上辺友達です。
所詮そんなモノ。 -
11/6
私をいじめた奴らを殺す時はきっといつまでも来ませんが、(損害賠償請求が求められることがないように父が死んでから。自殺する気分になったらするかも)
あの子の家に行ってチャイムを押す。出刃包丁で玄関口に出てきた家族の誰かを刺し殺します。きっとお母さんが出るのでしょう。自分の娘の育て方に誤りがあったと認めてもらいたいです。
家には他に家族がいるかも知れません。悲鳴を聞きつけた家族を素早く殺す。確か4人家族だっただろうし。あの子と母親以外はあまり苦しめずに殺したいです。
でも父親にも問題がありそうだしなぁ。どうするよ。取り敢えずあの子は一番苦しめながら殺します。
殴って気絶させて口に雑巾突っ込んでガムテープで体中ぐるぐる巻きにして・・・(これ以上は、かなり残虐でグロい表現が続き、読んでいられない内容だったので割愛します。)普通の人にはこんな憎悪を向けることはありませんけど、あの子だけは別です。あの子のお陰で人生が変わりました。今の私も嫌いじゃないけど、違う私も見てみたかった。無念。
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11/8
タイムスリップして、この壊れていた頃の(現在も壊れてますけど)私に会って話をしたいです。
中学生で浅いリストカットを始めた頃に精神科に通っていたら、私の手首にこんなに深い傷は残らず、白く筋が残っていたくらいですんだことでしょう。
美しいとは言えなくても、同級生のような女の子のキレイな手首でいられたことでしょう。半袖を着てオシャレもできたことでしょう。
でも、今の自分も好きだから。
今こうやってパソコンの前に座っているのも、過去の思い出があるから。傷があるから。だから私は、この傷を勲章とは思えなくても汚点だとは思いません。 -
12/1
これからの人生シミュレーションをしてみると、どんなに沢山の良い要素があっても最終的には真っ黒になってしまうんです。
自殺願望真っ盛りなのに朝のお薬を忘れ、とぼとぼと学校に向かいました。あわよくば交通事故。とか考えていました。すごいダメ思考。 -
12/25
日記を連載させていただけるようになって妄想を昇華。
7月にはついに憧れの入院を果たしました。二ヶ月の入院で家のお金が底をつき、貧乏に。卒業後の進路がフリーターという方向にぐにょんと曲がりましたが。(もともとは、医療秘書系専門学校に行きたかった。)
人生は良い方向に変わったと自分では思います。この先何が待ち受けていても。とりあえずフリーター大歓迎。
来年の7月にラッキーイベント(ノストラダムスの大予言)が待っているかもよ。 -
12/29
ファンになったらとことんグッズを集めるタチなのでお金がかかります。
昔、幽遊白書というアニメのファンになったときは10万円あった貯金が全て無くなりましたから。これはもう買い物依存症状態。 -
1999/1/5
踊る大捜査線を見に行きました。前から観たい観たいと思っていたのでラッキーでした。小泉今日子(頭が逝かれている快楽殺人者・シリアルキラー役)が出てくるのですが、素敵すぎ。もうすっかり虜になりました。
スカルペルナイフっちゅーナイフを持っていたりするんですが、ほしいと思いましたね。
そしてすっかり影響された私は髪型を小泉今日子にしようと家に帰ってから美容院へGO!(次の日には、スカルペルナイフを探しに、渋谷のハンズへ行っている)
(その後、もう一回同映画を見ている。) -
1/11
明後日のお医者さんで、(自傷の)衝動が抑えられないことを伝えたいと思います。なんで自分を虐げるのか。マゾヒストじゃありません。
どうしたら治るの?どうしたら痛いことをイヤだと思えるようになるの?でも一番の疑問は、どうして自分を虐げるのか、という理由です。
考えると訳が分からなくなって、涙が出ます。 -
1/30
この頃は先生との雑談の中に笑いも混じるようになりました。初診時からは考えられない進歩です。初診時の私は大変暗く、体力もなく、気力もなく、先生からの質問にも「はあ」とか「そうです」とか「それは違います」とかしか言わない消極的な患者でしたから。
今では私の方から言葉を発したりできるようになりました。進歩です。(1月は彼氏と密な関係になった月)
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2/22
私の病状が悪化していますー。どんな風に悪化してるかって?あのですねえ、頭の中に人がいるような気がします。6人もいるんですよ。
これを先週の金曜日の診察でM先生に言ったら慌てて方向転換でこのことについて聞かれました。
以上、南条あや日記の印象的な文章まとめでした。
最後に・・・狡猾で頭が良く行動力も備えている「魔性の女」の素質を持った南条あや
僕は彼女の日記を読みながら、ところどころ驚かされる部分があった。
それは、彼女の自傷行為とか自殺未遂とか苦悩とか、ネガティブなモノではなく、
並外れた行動力や、目的のためなら手段を選ばないといった、”彼女のすごさ” に。
(以下、その一部)
- 彼氏と電話し放題をするために、偽造テレカを入手するため、渋谷の売人を探し回り声をかける(実際に入手する)
- 好みの指輪を探すために、渋谷の外人に声をかける
- 献血を頻繁にするために、一人で3人分のキャラを演じる
- 担当の先生(医者)に嘘をついて、必要以上に薬をもらう
- 採血するための注射器を、学校の保健室から盗みだす
- セブンイレブンで大量のプリント用紙を窃盗する(10/22の日記)
- 同時期に二人の男性と付き合っていて、どちらの存在も ”同性の友人” として日記掲載している
等々。
勘違いしないでほしいですが、ここで彼女の倫理観云々をいうつもりはありません。
ここで言いたいのは、彼女の「目的のためなら手段を選ばない部分」です。
南条あやは、狡猾で頭が良いだけじゃなく、目的を遂行するための並外れた行動力も兼ね備えているのです。
「もし、彼女が生きていたら・・」
誰にも制限されない”大人”として、そして”女性”として、、
精神的な傷(病み)を抱えながらも、彼女は「魔性の女」のような存在になっていたのでは無いかなーと、ちょっと想像してしまいました。
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最後に、これも僕の個人的な感想なんですが、僕は南条あやの「卒業式まで死にません」を読んで変な感覚に陥りました。
今から17年以上も前に死んだ、18歳のJKが書いた日記を、数日間に掛けてずーっと読んでいる27歳の僕。
(もし彼女が生きていたら、現在36歳になっていて僕よりだいぶ年上の女性になっている)
きっと、本人は夢にも思っていなかったでしょうね。
自分の書いた日記が、10年以上にも渡って多くの人に読まれ続けているという事実。
今後、僕はもう彼女の日記を読むことは無いと思いますが、「南条あや」という名前は一生忘れないと思います。
中には、同じような境遇の中で、彼女の本に救われた方もいるだろうし、何度も何度も彼女の日記を読んで、心の支えにしている人も中にはいるでしょう。
人によっては、それぐらい影響を受ける内容だと思ってます。
そーやって、彼女の本を手にした読者達の心の中で、「南条あや」はずっとずっと生き続けるんだろうなーって、そんなことを思いながら、ちょっと不思議な感覚で読んでいました。
ではまた、じゃーねー。
P.S. 彼女のことを歌っている曲(ボカロ)です。
(賛否両論ありますが、色々と考えさせられる歌詞でクセになる曲調です。)
いつもながら、日本の現状を何も知らない私にも分かるように、素直に興味津々なゆとりさん独自の視点を感じるまとめをありがとうございます。メンヘル関連の記事が続いているのでちょこちょこチェックさせてもらってます。メンヘル専門、海外在住のこおのです。
南条さん、二階堂さん、メンヘラ神さん、どの方も、人間として根源にある愛され、愛したい希求に相対する、愛し、愛されるに値しない自分及び自分を取り囲む他人像とのギャップに苦しみぬかれて命を絶たれたように感じ、居た堪れません。
個人的には南条さんの文章が一番読みやすかったので(とは言っても本は読んでいませんが)、彼女について思うところを書かせて頂きます。理論的、経験的裏打ちだけではなく、私が個人的に抱いた感覚(直感)的内容も多分にあります。南条さん自身や、彼女に直接関わった方々による彼女の病についての理解と食い違う点があって当然とも言えるでしょう。又、私見を述べる事で当時の彼女を知る方々に不愉快な思いをさせるかもしれません。私の見方が正しいと言うのでは決してなく、もし、私が彼女のケアをしていくのであれば、以下のような仮説を元に、どういった題材に注目して、対話を掘り下げていくべきか、如何に彼女が病と共に生きていく道を模索できるのか、という私にとっての方向性に過ぎない、ということを念頭に読んで頂きたく思います。
前置きから長いコメントですみません。本文も長いです。書き始めるとどんどん言いたい事が出てきてしまうので。
まず、彼女のリスカは父親が大きな要因だったというのが私の印象です。父娘間の悲劇的な「愛情の行き違い」、彼にとっては単なる愛情表現でも、彼女にとっては自己を犯される、嫌悪感を抱き得る何かがそこにはあったと感じます。
10月7日、死んだように眠っている娘の脈を計る父親。彼女はそのことに全く気付いていないのか、意識から抹消してしまいたかったのか。11月1日に、父親が枕に足を向けて眠っていた自分を正しい姿勢に直して寝かせたことも、健忘。翌年3月11日、命を絶つ数週間前に(入院中、他人が自分のベッドを触るのを嫌った彼女が)父親の布団で寝ていたことも完全健忘しています。3月の自殺を目前にリスカは生理食塩水を注射器で自分に注入するという自己破壊と再生の努力とも言える儀式に変貌していきます。
この健忘の記録は、実際にリスカが始まった時期からは数年後に書かれましたが、父親の「行き違った愛情」が当初娘の生存を確認する意図に始まり、彼女の身体を覆し、自由意志を陵駕する行為へと、長年に渡って徐々にエスカレート、逸脱していってしまった経過を言語化した物のように私には思われて仕方ありません。
問題は、性的虐待が自己破壊の欲求を生み出した、という単純な物ではありません。幼少期に父親以外の人から性的ないたずらをされた可能性も多大ですし、相馬氏の書かれているように、いじめに象徴される、日本社会的な歪みが最も大きく影響したのかもしれません。
私個人には、お互い慈しみ合い得た親娘であったからこそ、彼女が今の自分には必要のない親からの「愛情」を安心して拒否できる立場(自立の一歩とも言えるでしょう)に立てなかったこと、思春期にありがちな父親に対する嫌悪を隠蔽し通さなければ、父親の逆鱗に触れ、独りぼっちになってしまう恐怖を感じたことが一番の悲劇だったように思われます。
ゆとりさんの印象にも残った、11月20日の英語教師との出来事。これは、彼女の父親との関係に発する、理不尽にキレル大人に対する不信感、嫌悪感を如実に語る出来事のようにも感じます。教師として注意して当然の状況だったと前置きした上で、彼女とは面識もない一女生徒が「テメエ」と罵倒されたことを、「心にコンパスが刺されたよう」と描写しています。彼女の父親は、実際男手一つで大変な苦労をして彼女を育ててきたのでしょう。そんな父親を彼女は慕ってもいた筈です。境界例の診断を持つ彼女は、自分を殺してでも、他者の心情、立場を汲もうとする逸脱した(過敏とも言えますが)共感力を有していたと思われます。おそらく、彼女は自分の父親が子育ての努力を、親として当然の責務と受け入れることができないこと、彼女に対する過剰な期待、本来であれば配偶者に求めるべき愛情や評価を子供である彼女に求めていたこと、又、それが(当然ながら)常に不十分であることから、予想できないタイミングで、キレ、叱責を与え、被害妄想に駆られる父親の内面世界を痛いほど分かっていたのではないでしょうか。とはいえ、大の大人なのに理屈に合わない振る舞いをする父親を親として赦し難く感じることもあったはずです。子供として「与えられて当たり前」であるはずの物事(病院の入院費、学校の月謝)について恩着せがましく言われていた彼女は、教師の恩着せがましい言葉に「吐き気を催した」と記述しています。
父親との意思疎通、葛藤克服の不可能さ以外に、彼女の人格形成に大きく影響したのは母親の不在があると思われます。相馬氏の書かれているように、彼女の精神病棟への愛着、思い入れは、護ってくれる場所、理解してくれるはずの人達がいる安全な場所、「家」に対する思い入れの様にも思われます。安全な「家」としての精神病棟での、彼女の女性患者さん達に対する憧れとも見受けられる思慕の情を読み取るのは私だけでしょうか。彼女の女性患者さん達への思慕が、自分を理解し、受け入れてくれる母親的存在の希求であるように感じるのは私だけでしょうか。彼女の母親が精神病を患い、入院したことがあるかどうか私にとってはとても興味深い所です。
ウィキペディアによると、境界例には、大きく分けて「不安定で激しい対人関係様式」が特徴的な依存、混乱型と、「対人恐怖、過敏性が強い」、他者との交流回避型の2つに分けられるとされています。少なくとも日記の「あかね様」と2人の「先生」、友人達の記述を読む限りでは過度の理想化と強烈な卑下を行き来する様な対人関係を彼女が作っていたようには思われません。むしろ、母親代替とも思われる「あかね様」や「先生」達への依存を回避することで、彼女達の現実的な不完全さを受け入れ、憧憬の念を失わず対人関係を温存していたようにも感じます(依存欲求充足の不満ストレス軽減の為に「薬物依存」も深まったのかもしれませんが)。
精神病棟や「あかね様」が母親的存在、自分を認め、護り、育んでくれる機能をはたすものだったからこそ、決別が彼女にとって耐え難い「破滅的な見棄てられ感」を伴ったのではないでしょうか。命を経つ前にコンピューターから彼女が消去したのは、決して世に出してはならない、彼女が愛して止まなかった人々を破滅に追いやる程の憎悪の記録だったのではないか、と想像を廻らせるのは私だけでしょうか。
リスカを止めようとしていた彼女は、リスカの代わりに献血や、注射器を使った自傷行為にハマっていきます。献血や注射器の象徴するところは、破壊的衝動をどうにかして自己肯定に変換しようとする努力だったのではないでしょうか。現実を受け止めて生きていく強さもない自分を他者の為に有効利用することで肯定したい。「生温かい」血液は、彼女の性、及び生の象徴であるとも言えましょう。注射器という、男性性器の象徴とも言えるモノで自身に生理食塩水を注入する。自分で自分を再生し、何かを生み出したいという希求、幻想(ファンタシー)は、破壊された女性の身体を男性性器の代替とも見られる注射器を用いて回復するという儀式になって実行に移されたのではないでしょうか。(母なる存在の)あかね様に(庇護されるべき子供の自己を)拒絶された彼女は、パートナーとなるべき男性、婚約者の相馬氏の助けを得て、ウェブサイトを立ち上げるべく活動していました。自己表現を通じての自己承認が現実的な可能性として、彼女の目前に立ち迫った時期とも言えましょう。断絶の恐怖を乗り越えられない限り自立の可能性は育まれません。「あかね様」から決別し、婚約者との関係を深め(父親との決別)、女性としての自己を確立しつつある時期だったからこそ、不安や恐怖、自己破壊の衝動も強まったと思われます。危機という言葉は、破滅の危険性を孕んだ変化の過程であり、それを乗り越えると更なる発展を遂げ得る機会を意味します。そういった意味でも、1月から3月は彼女にとって危機的状況だったと言えるでしょう。
「助けて」「かまって」コールともいえるリスカは、父親との関係によるストレスが原因だったのかもしれませんが、死に至る絶望感には、幼少期、言語化以前に味わった母親との断絶感が深い影を落としていたのではないかと私には思われます。
言語化不可能な苦痛は、混乱や錯乱という形で狂気に摩り替わるだけではなく、薬物依存にも顕著な乖離(自分を自分でなくしてしまう)という形を選ぶこともままあります。精神病患者さん達の心的苦痛を軽減するには、現実的状況を変えて、ストレスを軽減させたり、薬で脳内物質的に働きかけることも、メンヘル(精神衛生向上)の重要なアプローチといえます。それとは趣が異なりますが、フロイトを始祖とする現代精神分析の理論によると、治療者にとっての課題は、「現実」を拒否せざるを得ない極限に居る相手(患者)の内的経験(狂気)を人間的に「当然」の事として理解し、分かち合い、受け止めた上で、内的経験、視野を広げることで狂気から脱却すべく模索を続けるパートナーとなる(長いですね。分かり難いですね。でも、今の私の頭ではこれ以上どうしようもないので赦してください)と言うことだと私は考えております。これも又、ややこしい文章になりますが、治療の過程とは、ストレスの極限状態にあって、「現実を生き抜く自分」、「痛みを乗り越えて生き延びた自分」を再確認し、痛みを拒絶することなく、自分の一部分として抱えた上で生きていく強さを承認し、確認する作業に立ち会うことでもあります。只、その作業は麻痺させた痛みをも追体験し、分かち合うことを伴うので、生半可な覚悟で行っては危険です。言語化に伴う他者との分かち合いの過程が進んでくると、怒りや破壊的衝動に一人では耐え切れなくなる瞬間が必ず訪れます。その時に、言語化を共にしてきた相手(治療者でなくても良いのですが)と共に十全に痛みを乗り越えられたという感覚が得られないと、同じ痛みを繰り返し追体験しなければならないという強迫観念に駆られたり、(時には自殺と言う形で)築いてきた信頼関係を徹底的に破壊せざるをえない衝動に突き動かされたりしまいます。
彼女の病の真実がどうであれ、持って生まれた「不安定で敏感」な気質、家族構成、学校生活に始まる社会的圧迫等、様々な要因が複雑に絡んで悲劇的な結末に至ったことは確かでしょう。
彼女のストレスの原因となった人達、父親や、「あかね様」、又彼女の依存欲求を充たせなかった周囲が「悪かった」とは私は決して思いません。父親や「あかねさま」の様な人達が、自己愛充足の為に彼女を利用し、彼女を病の深みに追いやったと見なすことは簡単でしょう。しかし、「自己愛」の病に陥る人達は「境界例」とは異なった病相を呈しながらも、同じく自分をあるがままに受け入れ、愛することができないという絶望感を心の奥底に隠し抱いているのです。私の考えでは、彼らはお互いの苦痛を言葉に言い表せない深い部分で分かち合うべくして彼女に廻り逢った人達でもあります。
彼女に関わり、彼女の癒えることのなかった傷を分かち合った方々の心が安らかであることを願うばかりです。
初めまして。
自分で言うのも何ですが、理解力に乏しく語彙力も無いので端的に…
久しぶりに彼女の事を思い出し、こちらの記事に辿り着いたのですが、こおの様のコメントを何度も読み返して正直、心臓がドキドキしました。
私が彼女の存在を知ったのは死後数年経ってからなのですが、それも私が自身の病について調べていた中での事でした。
彼女が記す文章の裏にある闇の部分に同じ匂いを感じて夢中になって読み耽ったものです。
当時、幼子をかかえながらシングルマザーをしていたのですが、その子供達も今や高校生。
彼女と同じ立場を生きています。
私がドキドキしてしまったのは、当時彼女と(勝手に)同苦していたのとは違って、我が子が彼女と同じ境遇になっているのではないかというドキドキ。
私の愛情、表現が「親」としてと言うよりも只の「出来損なった人間」の承認欲求になっている節がある様に思えてしまって。
何が言いたいのか、言葉が全くまとまらず申し訳ありません。
ただ、こおの様の見解が私にこのままではいけないと教えて下さった様な気がして有難く思い、稚拙ながらコメントを残させて頂いた次第です。
端的に…と言いながらも結局長々とすみません…
有難う御座いました。
初めまして。
ゆとり様にご挨拶をする前に、勝手なコメントをしてしまい申し訳ありませんでした…
南条あやさんの事で流れ着いたのですが、他にも沢山の興味深い記事があり、またお邪魔させて頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。